【お】大村(おおむら) ;佐世保の旅⑧ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

大村・・・

長崎県の本土中央部、大村湾東岸の地域。

大村藩は、994年(正暦5年)に藤原直澄(直純)が久原城に入部してから約1000年の歴史を有する。

その間居城は久原城から、1564年(永禄7年)三城城へ、1598年(慶長3年)玖島城に移った。

廃藩置県により大村県となり、その後に長崎県に統合。

1942年(昭和17年)に大村町、ほか5村が合併し、市制施行で大村市となる。

 

 

 

 

10月13日(金)~10月16日(月)に佐世保に行ってきました。

 

 

三日目の15日(日)は・・・

佐世保市を飛び出して大村市へ行ってきました。

JRで、佐世保~大村 間は1時間10分程度の移動・・・

その列車も1時間に1本というような感じでした。

 

 

 

まずは、大村駅の北方にある長崎県忠霊塔へ向かってみました。

忠霊塔へのお参りという訳ではなく・・・

そこが三城城というお城の跡だと聞いたので、行った次第です。

三城城は、日本初のキリシタン大名 大村純忠が永禄7年(1564年)に築いた平山城で、純忠の子 喜前が慶長4年(1599年)に玖島城へ移転するまで大村氏の本城として使用されたお城です。

 

それらしい こんもりした小山が見えてきました。

 

実際に小山を登ってみますと、道が整備されていまして・・・

明らかなお城の遺構らしきものは、見当たらない感じでした。

 

小山の上は平坦になっており、おそらくここが曲輪になっていたのだと思います。

立派な忠霊塔がありますが、やはりお城を感じさせるものは見当たらない感じでした。

塔の裏とかに、お城の遺構とかありそうな気もしましたが・・・

こういうところって、気ままに散策できる雰囲気じゃないですよね・・・

 

唯一、城跡を示すものとしては、手水舎の裏手にあった三城城址との石碑くらい・・・

ここは忠霊塔がメインで、城跡については物凄く細々・・・って感じでした。

 

 

 

その後、大村駅の南方にある大村護国神社へ向かいました。

これも護国神社へのお参りという訳ではなく・・・

その境内にある旧円融寺庭園を見に行った次第です。

圓融寺は4代目藩主 大村純長によって承応元年(1652年)に創建されたお寺ですが、明治初期には廃絶したようです。

 

石段を上がっていきますと、その境内に社殿や慰霊碑などが見えます。

 

横に並んだ慰霊碑の奥・・・

山畔中央の高所に巨石を据えて三尊石を組み、それを中心に斜面に400個の石を立てて、枯滝や枯流を作っているそうです。

長く荒廃し、ツツジ等の樹叢に埋もれていたものが、昭和44年(1969年)に発見され、修復されたそうです。

 

 

 

ちなみに、大村市には長崎空港があります。

長崎空港は、昭和50年(1975年)に開業した世界初の本格的な海上空港とのことです。

大村駅前から長崎空港までは、バスで12分程度の距離です。

 

長崎空港に渡る橋の手前・・・

 

そこには天正遣欧少年使節の顕彰の碑があります。

天正遣欧少年使節は、天正10年(1582年)に九州のキリシタン大名 大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団のことです。

一行が出航したのは長崎港ですので、直接は関係ないのですが・・・

大村純忠の本拠地ですので、顕彰碑があるのは違和感はないです。

 

 

 

3日目の観光は、これにて終了です。

佐世保から電車で1時間強ありますし・・・1時間に1本しか電車がないですし・・・

あまり粘って観光することはしませんでした。

 

4日目が最終日ですが、関東までの移動を考えますと・・・

4日目は観光せずに移動のみ・・・

 

と言うことで、今回の旅・・・観光については、これにて終了です。