【い】石切(いしきり) ;大阪近郊の旅⑦ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

石切・・

① 山から石を切り出すこと。また、その職人。

② 石材を細工して建築用材などを作ること。また、その職人。石工。

③ 石を切り出すため、また、彫刻するための鉄製の道具。

(画像は「石切梶原」)

 

 

 

 

9月23日~25日に大阪の方に行ってきました。

でも、大阪市は回らず、大阪市近郊の周辺都市を訪問・・・

初日は吹田、二日目は岸和田を回りまして・・・

三日目の25日は東大阪市石切というエリアを訪問しました。

 

石切は生駒山地西麓に位置し、生駒石の採石加工地として有名なようです。

地名もそれが由来らしいです。

 

 

 

近鉄けいはんな線の新石切駅に降り立ちまして・・・

そこから東を望むと、生駒山がよく見えます。

 

 

 

 

その新石切駅から北へ少々上がり、東に10分弱歩いたところ・・・

何やら立派そうな建物群がある敷地が見えます。

 

こちら、石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)という神社です。

こちらは延喜式内社です。

御祭神は、饒速日尊(にぎはやひのみこと)可美真手命(うましまでのみこと)です。

 

饒速日尊は古代豪族・物部氏の祖神、可美真手命は饒速日尊の御子です。

「石切劔箭」は石でも切れる剣と矢を意味し、大和朝廷の軍事面を司った物部氏が関与するのは成程と思います。

 

そう言えば、石切劔箭神社の東にある生駒山は長髄彦という豪族の勢力圏と考えられ・・・

日本書紀によると、神武東征の際に神武軍が生駒山を越えて内つ国に入ろうとしたところ、長髄彦に阻止され、神武軍は熊野から大和入りする破目になったわけですが・・・

その長髄彦が推戴してたのが饒速日尊ですので、この場所に饒速日尊を祀った石切劔箭神社があるのも意味ありげですよね。

一説によると、石切劔箭神社は長髄彦も祀ってるとの話もあるようです。

 

 

話は変わりますが・・・

後で知りましたが、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名だったようです。

確かに、行ったり来たりする人が多かったです。

 

 

そうそう、今回の旅では神社の狛犬と獅子に注目してましたが、こちらの神社ではこんな感じです。

 

そして、何故か境内に二宮金次郎も・・・。