をとこもすなる日記といふものを
をむなもしてみむとてするなり ・・・
『土左日記』の有名な冒頭。
現代語にすると、「男が書くという日記というものを、女の私も書いてみようと思う」のような意味。
『土左日記』は、紀貫之が女性に仮託して書いたものとされているが、確証はない。
現在は一般的に『土佐日記』と書かれるが、信頼にある古写本などには『土左日記』とあり、古くは『土左日記』と表記されていた。
今年になってからですが、急遽『土左日記』を読んでみました。
と言うのも、年間で5日間取らなくてはいけない有給休暇が消費しきれておらず、この1月で取ることにしました。
せっかくですので、久々に旅をしてみようと思い・・・
いろいろ考えた結果、高知に行ってみることにしました。
と言うのも・・・
コロナ禍以前の夏に、一度 高知に行ってみようと試みましたが、その時は台風が来てしまい、飛行機と宿をキャンセルする破目になり・・・
その後、コロナ禍で行けず終いになってたわけです。
ちなみに、今回は念願叶って行けましたが・・・
ここ最近の寒気と低気圧のせいで、高知旅行の予定最終日に雪が降ることが判明し、日程を1日短縮する破目になりました。
(´・ω・`) ・・・
さて、高知・・・昔の土佐国に行くことにしましたので、ちょっと『土左日記』でも読んで、観光先の参考にでもしてみよう!
・・・そんな思い付きで、急遽 読むことにした次第です。
『土左日記』は、紀貫之が土佐国司の任期を終えて、土佐から京へ戻る旅路を描いたものですが・・・
土佐を発つ前に娘を亡くしており、そのことを思い起こして嘆くような話が多く・・・
土佐国の移動はほぼ海路であるため、景色の描写も海に関することが多く・・・
あまり観光先(大きなエピソードにあった場所、等)の参考にはならない感じでした。
(´・ω・`) ・・・