【た】平将門(たいらのまさかど) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

平将門・・・
平安時代中期の武将、桓武平氏高望の孫、鎮守府将軍良将の子。
父の遺領を継ぎ下総に勢力をふるった。
遺領をめぐる一族の紛争は絶えず、伯父国香を殺したことから内乱に発展。
下総猿島に王城を営み、文武百官を置いて新皇と称したが、平貞盛・藤原秀郷らに討たれた。
 
 
 
 
年末年始は、新型コロナウイルス感染で自宅待機しておりまして、初詣に行けず・・・
本日(1/17)、仕事帰りに職場近くで初詣に行ってきました。
 
職場はお茶の水近辺です。
お茶の水周辺の宗教施設と言えば・・・
ニコライ堂・・・これはキリスト教なので却下・・・
湯島聖堂・・・これも儒教・・・儒教は大嫌いなので大却下・・・
あ!御茶ノ水駅からチョット距離ありますが、神田明神があるじゃないですか!
と言うことで、神田明神に行ってきました。
 
 
 
神田明神です!ライトアップされていて、なかなか綺麗でした。

神田明神と言えば、大黒様(大己貴命)と恵比寿様(少名彦命)が祀られ、商売繁盛の神社として有名ですが・・・
明治以前は平将門を祀った神社として有名で、その将門の怨霊パワーを江戸の守りに活用するため、江戸城の鬼門に当たる位置に遷されたようです。
明治以降は天皇が参拝するため、朝敵であった将門は祭神から外されたそうですが、戦後に祭神として復活してます。
 
朝敵であった将門は、京都で首を晒されますが・・・
首のない将門の体を祀ったことから、「からだ」が訛って「かんだ」になったとの説もあるそうです。
 
 
 

この後、将門の首について思い出しましたので・・・

大手町にある将門の首塚・・・将門塚にも寄ってみました。
京都に晒さされた将門の首が、故郷を目指して飛んだところ、力尽きて落ちたところが、この首塚の場所と言われてます。
この首塚は、戦後にGHQが撤去しようとしたところ、事故死が多発して諦めたとの都市伝説があるようなところで・・・
ビル街の中にポツンと位置し、木々に囲まれた鬱蒼とした敷地だったはずなんですが・・・
けっこう開かれて明るいスポットに変身していたのにはビックリしました。