【ま】前橋城(まえばしじょう) ;群馬日帰り旅行② | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

前橋城・・・

前橋の旧名は厩橋で、厩橋城と呼ばれていた。

厩橋から前橋に改称されたのは元禄年間で、城の名も前橋城になった。

15世紀末に長野氏によって箕輪城の支城として築かれた石倉城が前身。

戦国時代には、上杉謙信の関東進出の拠点として重視され、北条高広(きたじょう)が城代として活躍した。

戦国期には、上杉氏の他に、北条氏(ほうじょう)武田氏、織田氏(滝川一益)が支配した時期がある。

徳川家康の関東入府により側近の平岩親吉が配置される。

関ヶ原の戦い後に平岩氏は甲府に移り、代わって酒井重忠が入城、以降9代 酒井氏が続く。

その後、酒井氏は姫路へ、姫路から松平朝矩が入城、明治維新まで越前松平家が続き、廃藩置県で廃城となる。

 

 

 

 

10月末の土曜日、群馬へ日帰り旅行してきました。

 

まずは、群馬県庁方面に向かったわけですが・・・

それは、県庁敷地はかつての前橋城の本丸だったらしく・・・

お城の遺構が県庁周辺に幾つかあるようで・・・

それを見に行った次第です。

 

 

まずは、県庁手前から東へ約200mのところに車橋門跡があります。

ただ、住宅や低ビルの中にあって、分かりにくい場所にありました。

土地整理により、ありし日の門の幅より狭くなっているそうです。

 

 

 

県庁の北側には土塁の一部が残っています。

 

土塁の上に城址の碑が設置されているところがあり、そこは上がることが可能でした・・・と言っても、土塁の保護のため足を踏み入れられるエリアは限られています。

この辺りは幕末に砲台が設置された場所だったようです。

 

土塁の切れ目がありましたが、ここは門跡になるようです。

 

 

 

県庁の北側には、道を挟んで前橋公園がありまして・・・ここにも土塁の一部が残されていました。

下の画像の奥の小高いところが土塁です。

 

こちらの土塁は上に登って、歩くことがOKでした。

 

 

 

ありし日のお城を偲ばせる遺構は多くはないのですが・・・

最近、土塁って何となく好きでして・・・悪くはなかったです。