儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。
昔の街道を歩いてみよう!
とは言っても、例えば東海道五十三次の全行程を歩く気はなく・・・
宿場から次の宿場までの一区間くらい・・・
街道をちょっとゆくです。
GW中、東海道を、その起点の日本橋から次の品川宿まで歩いてみようかと思い・・・諸々の理由で、大門(浜松町)付近で断念。
そして、GW明けに再開です。
ちなみに、日本橋から品川宿への道のりはおおよそ次のような感じです。
前回の続き・・・
この品川橋を渡った先・・・
マンションに隣接する小さな建物の廃墟・・・
ちょっと気になったので撮影してみました。
(左奥が川崎宿方面、手前が日本橋方面)
入り口の上の廂の中央あたり・・・何かが付いてた跡が見えたので、交番だったのかな・・・。
後で調べてみると、まさに旧交番でした。
旧東海道、南品川の道はこんな感じです。
(奥が川崎宿方面、手前が日本橋方面)
この旧東海道・・・
北も南も品川宿は本気で回れば、たくさんのお寺・神社があるのですが・・・
何となく、気になったところしか回っていません。
そんな訳で、南品川に入ってからだいぶ歩いたところにあった天妙国寺へ。
赤い門が気になりました。
日蓮の直弟子・天目が弘安8年(1285年)に開いた寺です。
天正18年(1590年)、関東に入国した徳川家康もここに宿泊したそうで、それ以来、徳川将軍が江戸を離れる際の宿舎として使用されたそうです。
その南にあった諏訪神社にも寄ってみました。
人はほとんど訪れてな小さな神社でしたが・・・
ここには、黒い猫が5匹たむろってました・・・家族なんでしょうか?
なお、先ほどの天妙国寺の天目が自身の生国・信州の諏訪神社を勧請して、弘安年中に創建されたと言われているそうです。
さらにちょっと南に行ったマンションの傍らに・・・
脇本陣釜屋跡とのプレートが設置されていました。
立場茶屋(宿場間で旅人がお茶や食事をして休息する場所)でしたが、本来の休息所から旅籠に発達し、幕末には本陣のような構えに改造し幕府御用宿となったそうです。
慶応3年(1867年)に土方歳三、翌年に鳥羽伏見戦から江戸に戻った新選組隊士が使用した記録があるそうです。
脇本陣の向かいには、品川寺があります。
「品川寺」で「ほんせんじ」です。
大同年間(806~810年)開創と伝わる古刹です。
門前の地蔵菩薩は宝永5年(1708年)造立で、江戸六地蔵の第一番とされています。
本尊は大田道灌が伝えたという聖観音です。
秘仏の水月観音は弘法大師から授けられ、戦国時代に武田信玄が甲州に持ち帰った際、運んだ者が発狂したため、戻したという伝承があるそうです。
そして、品川寺に南接するのは海雲寺へ。
建長3年(1251年)に開かれた禅寺です。
境内の荒神堂で千躰荒神王を祀り、「品川の荒神さん」と知られ、日と水と台所の神様として親しまれています。
その後、旧東海道を南進していきますと、信号のある交差点にぶつかります。
(左奥が川崎宿方面、右手前が日本橋方面)
ちょうどこの辺りまでが品川宿だったようです。
と言うことで、日本橋から品川宿まで歩破です・・・でも、上の画像の左奥を見ての通り、旧東海道の道は続いていますね・・・。
(いったん、おしまい)