<覇道の男>国分寺/国分尼寺 編(15);播磨国 /神戸とかの旅⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。
そんな「制覇の道」、国分寺や国分尼寺を回ってみる・・・

国分寺/国分尼寺も実施中です!

(国分寺/国分尼寺・・・741年に聖武天皇が国家鎮護のために日本各国に建立を命じたお寺です)

 

 

 

9月14日(土)~16日(祝)に、またまた神戸にお泊りしまして・・・

神戸を中心に、その周辺を回ってきました。

 

二日目の15日(日)・・・

神戸を飛び出して、姫路へ向かいまして・・・

二つ手前のJR駅御着に着きました(ここも姫路市内です)。

 

 

 

御着駅から歩いて10分程度のところに播磨国分寺跡があるので、そちらへ向かってみました。

 

実は、播磨国分寺跡は一度行ったことがあるのですが・・・

時間の都合と雨が降っていたこともあって、さらっと見ただけでお終いにしちゃったんですよね。

https://ameblo.jp/numach-team/entry-11589777816.html

今回はゆっくり見たいと思います。

 

史跡 播磨国分寺跡・・・広いです。

 

おそらく過去の国分寺の伽藍配置を縮小で再現したものだと思われます。

 

その向こうに見えるのが、塔跡です。

多くの礎石も残っていました。

 

民家と接してますが、南大門跡。

 

南大門跡から寺域の中心地跡を見た風景です。

奥は現在の播磨国分寺で、真言宗のお寺です。

 

現在の寺院の手前には、古代寺院の中門跡・・・

灯籠の復元があります。

灯籠の復元は、東大寺大仏殿の前のものや韓国仏国寺のものを参考にしたそうです。

 

現在の寺院の山門および その手前のエリアが、古代寺院の金堂跡になるようです。

山門前の両脇の大きな石は、金堂の礎石だったもののようです。

 

古代寺院跡の西部には築地の基壇が見つかっており、一部 築地の復元されています。

 

 

 

その後、播磨国分寺跡から北へ向かって10分程度歩いたところに、播磨国分尼寺跡があるとのことで、そちらにも向かってみました。

前回に御着に来た時には、国分尼寺跡は見なかったんですよね・・・。

上の地図でいきますと、国分寺第二公園の向かい・・・やや西当たりです。

地図上に印は出てませんが・・・

 

民家の手前に、播磨国分尼寺跡であることを示す石碑が建っていました。

石碑の東側は、田んぼです。

寺域跡から金堂、講堂、回廊などの遺構が見つかったそうですが・・・

見ての通り整備はされてません。

 

ちなみに、国分寺第二公園はこんな感じです。

ここも寺域だったんでしょうね。

 

 

今まで訪問した国分寺跡/国分尼寺跡

 

<国分寺>
畿内:大和、摂津?
東海道:三河、伊豆、相模、武蔵、下総、常陸
東山道:信濃、下野、陸奥
山陰道:出雲
山陽道:播磨、安芸
西海道:筑前、豊後

<国分尼寺>
東海道:三河、伊豆?、相模、武蔵、下総、常陸
東山道:信濃、下野、陸奥
山陰道:出雲

山陽道:播磨
西海道:筑前