目白・・・
東京都豊島区の町名。
もしくは、その周辺エリアのことをざっくりと指します。
地名の由来は目白不動尊との説が有力。
目白にある学習院に行ってきたことを前回の記事で書きましたが・・・
その周辺をチョロっと回ってきました。
学習院の北辺を走る目白通りを東へ進んでいきますと、学習院の東辺を走る明治通りにぶつかります。
正確には二つの通りには高低差があり、目白通りが上を通り、明治通りが下を走り、立体交差となっています。
この立体交差の陸橋は千登世橋と呼ばれ、昭和7年(1932年)に完成。
優美なデザインで、土木技術的価値も高く、「東京の著名橋」に指定されてるそうです。
この橋から明治通りへ降りる階段のデザインもなかなかです。
すぐ東側には連続して千登世小橋があり、下には路面電車の都電荒川線が走ってます。
千登世橋を越えて、東に行ってすぐのところ・・・
明治通りに並行して走る坂道があるのですが、ここの勾配が恐ろしいくらい急です。
のぞき坂という坂で、勾配は最大で13度(23%)らしいです。
胸突坂という別名もあるらしいです。
おそらく・・・下を覗くような角度になってることや、坂を上がる時に胸が動悸するような坂ってことなんでしょうね。
それぞれ坂上、坂下から眺めたところですが・・・
実際は画像以上に迫力あります。
のぞき坂の坂下から東に行ったところ、金乗院というお寺があります。
正式名は神霊山金乗院慈眼寺で、真言宗豊山派のお寺です。
開山は永順という僧で、推定では天正年間の創建らしいです。
目白不動尊を祀ってることで有名です。
上の画像が不動堂で、ここに安置されてるようです。
ただ目白不動尊はもともとここのお寺にあったわけでなく、江戸長谷寺というお寺(奈良の長谷寺の末寺)にあったらしいです。
昭和の戦災によって金乗院に合併され、ここに移されたそうです。
また、ここには由井正雪の乱(慶安の変)で有名な丸橋忠弥のお墓があります。
金乗院の東側を走る道は鎌倉古街道だったようです。
北に向かって上り坂になってますが、宿坂と呼ばれています。
さきほどの のぞき坂とは平行した坂道です。
中世の頃は近くに関所が設けられており、「宿坂の関」と呼ばれていたようです。
また、樹木が茂って昼間も暗かったため、くらやみ坂との異名もあったようです。
宿坂の坂下を南に進んでいきますと、道端に山吹の里の碑がひっそりと佇んでます。
太田道灌の山吹伝説の地はいくつかあるようですが、その一つらしいです。
突然の雨に会った大田道灌が農家の娘に蓑を借りようとしたら、蓑を持っていない娘が山吹の花を差し出したが、道灌はそれをできず・・・
後に「七重八重花は咲けども山吹の実の(みの)一つだになきぞ悲しき」という歌をかけたものだと知り、道灌は恥じて、歌道に励むようになったという伝説です。
ただ、その地は埼玉県の越生との話が主流のようです。
目白まわりは、これで終了しましたが・・・
のぞき坂、もしくは宿坂に戻って登る気はなく・・・
別ルートで帰りました。