【ふ】舟橋(ふなはし) ~富山弾丸旅行⑦ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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舟橋(船橋:ふなはし、ふなばし、しゅうきょう)・・・

 

多くの舟を浮かべて上に板を張り、通行できるようにした橋。

 

 

 

4月1週目の土・日で富山市に行ってきました。

二日目、松川遊覧船→富山市役所展望塔→チンドンコンクール→高志の国文学館と行った続きです。

 

高志の国文学館のすぐそばが桜の名所の松川で、再度桜を楽しみましたが・・・

 

文学館の近くに、舟橋というユニークな橋がありましたので、そこに行ってきました。

 

実は、松川遊覧船に乗った際にも、その遊覧船から見上げた橋でして・・・

橋桁から船の舳先と船尾(橋の逆側)のようなオブジェが出ていました。

 

舳先オブジェを上から覗くとこんな感じです。

舳先オブジェ2つの間は、鎖のようなものが掛けられていました。

 

一方の逆サイドの船尾オブジェはこんな感じです。

 

しかし、何故このようなオブジェをつけた橋があるかと言いますと・・・

 

富山城公園の北側を流れる松川は、かつて神通川が流れており、川幅は最長で430mほどあったそうです。

富山城を守る天然の防御機構だったわけで、弓矢で射超すことができない幅だったそうです。

 

江戸初期に52艘の船を太綱で繋ぎ、船の上に板を並べた舟橋が架けられたそうです。

その後、両岸に柱を立てて鎖を渡し、64艘の船をつないだものになったようです。

大水の時には舟橋を撤去し、水が引くと再び架橋した模様です。

富山のランドマーク的存在で、浮世絵などにも描かれ、有名だったようです。

 

明治に入り、船橋は撤去され、神通大橋という木橋が架けられ・・・

その後、神通川の流れを変える工事が行われ、神通大橋も撤去・・・

昭和になって、松川に架かる船橋となったようです。

 

詳しくは、コチラを・・・

http://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0411_jintsu/0411_jintsu_01.html