<覇道の男→王道の男>天皇陵編(31)大光明寺陵 ;~京都旅行⑫ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。
そんな
「制覇の道」・・・

天皇陵をできるだけ回ってみる天皇陵も実施中です。
(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)

 

 

 

2月に三連休で京都に行ってきました。

三日目、竹田駅周辺の天皇陵、深草と呼ばれるエリアの天皇陵を巡りましたが・・・

このまま天皇陵巡り続行です。

 

深草から最寄り駅の京阪の藤森駅へ行き、電車を使用して南下・・・

伏見桃山駅に降りました。

桃山には、明治天皇伏見桃山陵があるのですが・・・

こちらは過去に行ったことがありますので、一旦置いておきまして・・・

 

桃山周辺の地図を見てますと、大光明寺陵という御陵がありましたので、そちらに行ってみることにしました。

 

 

ちなみに、天皇陵を巡る時には、宮内庁の天皇陵のホームページ(http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/)を参考にすることが多いです。

御陵の拝所へのアクセスルートが掲載されているんですよね。

ただ、困ったことに、歴代天皇の御陵しか掲載されていませんので・・・

皇后の御陵や親王や他の皇族の墓所は掲載されてないです。

 

そして、今回目指す大光明寺陵も宮内庁の天皇陵のホームページに掲載されていないです。

というのも、こちらは光明天皇崇光天皇の御陵なのですが、お二方とも南北朝時代の北朝の天皇であって、歴代天皇に含まれてないんですよね・・・

現在の皇室って、北朝の流れなのに・・・。

そんなこともあって、大光明寺陵の拝所への詳細なアクセスルートが分からず、御陵の大雑把な位置だけを確かめ、行ってみました。

 

結果としては・・

大雑把な位置しかし知らないため、拝所への参道が分からず、大いに迷子になりました。

最初に参道近くまで寄ったのですが、「何となく参道がなさそう」と勝手に思いこんでしまい・・・

御陵に隣接している団地は、「部外者を見つけたら通報します」みたいな看板があって、そこから御陵の正確な位置をつかむことができなかったり・・・

御陵は高台にあるのですが、その崖下まで回ってしまったり・・・

けっこう彷徨った挙句に、最初に行ったエリアに参道があることを気づきました。

 

やっと見つけた参道がコチラです。

看板を見ますと・・・

光明天皇 大光明寺陵

崇光天皇 大光明寺陵

治仁王墓

とりあえず着けて、ホッとしました。

拝所が見えてきました・・・

右側・・・植え込みが一つ倒れてました。

これだけ立派に管理されてるので、宮内庁の天皇陵のホームページに掲載しても良いかと思いますが・・・・。

 

 

本当は時間があれば、遠くないところにある明治天皇陵と桓武天皇陵の再訪も考えていたのですが・・・

彷徨い過ぎたので、断念しました。

 

<オマケ>

彷徨ってる最中に、外観を眺めたお寺・・・月橋院です。

お寺の説明板を見ますと、後崇光院太上天皇(貞成親王)と豊臣秀吉が開基だそうです。

 

 

今回の御陵とお寺で、名前が出てきた皇室の方々は、次の通りです。

 

光明天皇

北朝第二代、光厳天皇(北朝第一代)の同母弟。

湊川の戦で勝った足利尊氏が光厳上皇に奏請して、光明天皇が皇位につきましたが、神器ない状態での即位でした。

 

崇光天皇

北朝第三代、光厳天皇の第一皇子。

正平一統(南北朝の一時的な合一)のため、廃位。

その後、正平一統が破綻し、光厳・光明・崇光の三上皇は南朝に幽閉されてしまいます。

 

治仁王

王墓の看板を見ますと、後伏見天皇(第九十三代)の玄孫とありますが、光厳天皇の曾孫で、崇光天皇の孫です。

あくまでも北朝を正統としてない表記ですね。

伏見宮第二代当主。

 

貞成親王

伏見宮第三代当主、治仁王の弟。

第一王子が後花園天皇(第百二代)になったことから、太上天皇の尊号が奉され、後崇光院と呼ばれるようになってます。

 

 

<参拝した歴代天皇陵>
神武(1)、綏靖(2)、安寧(3)、懿徳(4)、孝元(8)、開化(9)、垂仁(11)、成務(13)、仲哀(14)、応神(15)、仁徳(16)、履中(17)、反正(18)、允恭(19)、雄略(21)、清寧(22)、仁賢(24)、継体(26)、安閑(27)、宣化(28)、欽明(29)、天智(38)、天武(40)、持統(41)、文武(42)、孝謙(46)、称徳(48)、桓武(50)、光孝(58)、宇多(59)、醍醐(60)、朱雀(61)、村上(62)、圓融(64)、一条(66)、後朱雀(69)、後冷泉(70)、後三条(71)、白河(72)、堀河(73)、鳥羽(74)、崇徳(75)、近衛(76)、後白河(77)、二条(78)、安徳(81)、仲恭(85)、後堀河(86)、四条(87)、後嵯峨(88)、後深草(89)、亀山(90)、伏見(92)、後伏見(93)、後二条(94)、長慶(98)、光明(北2)、崇光(北3)、後光厳(北4)、後圓融(北5)、後小松(北6/100)、称光(101)、後土御門(103)、後柏原(104)、後奈良(105)、正親町(106)、後陽成(107)、後水尾(108)、明正(109)、後光明(110)、後西(111)、霊元(112)、東山(113)、中御門(114)、桜町(115)、桃園(116)、後桜町(117)、後桃園(118)、光格(119)、仁孝(120)、孝明(121)、明治(122)、大正(123)、昭和(124)