表参道・・・
神社、仏閣の参道のうち、正面に位置するもののことです。
東京で「表参道」と言えば、明治神宮の表参道を指し・・・
また、表参道駅周辺のエリアのことで、神宮前、北青山、南青山あたりが該当します。
根津美術館に琳派の展覧会を見に行きました。
https://ameblo.jp/numach-team/entry-12375508472.html
表参道駅から歩いて10分程度のところにありまして、美術館から帰りに表参道エリアをちょっと回ってみることにしました。
ちなみに、根津美術館は、東武鉄道や富国生命の創始者である実業家・初代根津嘉一郎が開設した美術館です。
もともと根津邸内に建てられたものだったそうで、江戸時代は河内丹南藩 高木家の下屋敷屋敷だった場所になるようです。
根津美術館の裏手・・・東南にある長谷寺というお寺に寄ってみました。
長谷寺は曹洞宗大本山の永平寺の東京別院です。
もともとは慶長3年(1598年)に大名の山口家の邸内にあった観音像に堂を建てて、同家の菩提寺にしたのが始まりのようです。
麻布大観音と親しまれた観音像と観音堂は戦災で焼失してますが、昭和52年に再興されてます。
上の画像がその観音堂で、大きな観音像はなかなかなものでした。
その後、表参道駅へ戻り、青山通りへ。
通りに面したビルの一角・・・
高野長英隠れ家跡との碑があります。
江戸時代にこのあたりは青山百人町と言い、与力や同心の組屋敷が集中してたそうです。
同心たちは、家計の足しのために拝領地の一部を商人・町人等に貸すことが多く・・・
ここの与力の小島家も質屋の伊勢屋に貸しており、伊勢屋の別宅だったわけですが、そこに沢三白という偽名を使っていた高野長英が隠れ棲んでいたそうです。
表参道駅の北には善光寺というお寺がありましたので、そちらも寄ってみました。
こちらのお寺は、信州の善光寺の別院です。
慶長6年(1601年)に徳川家康が開きましたが、初めは谷中にあったそうです。
火事で焼失し、宝永2年(1705年)にこの地に移ってきたそうです。
信州の善光寺は「牛にひかれて善光寺詣り」と言われてますが、ここの善光寺は「青山は馬にひかれる善光寺」と川柳に詠まれたそうです。
当時、青山は野菜を背に積んだ馬の往来が多かったようです。
都心にあるお寺なので、現在のこんな景観になっちゃってます・・・。
最後に、表参道駅の出口すぐそばにある石灯籠にお祈りして、帰りました。
明治神宮の参道のシンボルと言ってもよく、手前と道を挟んだ向こう側に対になって設置されてます。
この付近は東京大空襲で米軍による爆撃を受けたエリアで、この石灯籠の台座が黒いのは、被害者の血が染み込んでいるとのことです。
特に、道の向こう側の灯篭の台座の黒さは凄く、近くの建物に逃げ込むことができずに亡くなれた方が多かったそうです。
現在は待ち合わせ場所として使用する人が多いですが、ちょっとお祈りしてから使わせてもらった方が良いかもしれません。
こうやって見ると、表参道もオシャレなお店だけでなく、いろいろと歴史を感じるものもあるんですね。