【し】震災(しんさい) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

3月11日・・・
今年は、東日本大震災から7年・・・
 
今冬は、東北を巡ってみようということで・・・
1月に、宮城、福島・・・
2月は仕事が忙しくて、行けず・・・
そして、3月10日~11日に岩手に行ってきました。
 
必ずしも3月11日に絡めるつもりで行ったわけではありません・・・
観光等が目的ですが・・・
でも、3月11日のその時間は、地元の方々と黙祷をさせていただきました。
 
実は、東日本大震災当時は東京にいましたが・・・
この震災については、けっこう他人事ではないんですよね。
 
 
 
翌3月12日・・・
職場(東京都千代田区)近くの九段会館に行って、お祈りしてきました。

このブログで何回かご紹介しましたが、この九段会館は東日本大震災の際に東京でも死者が出た場所です。

ここは貸し会議室や貸しホールをやっていたのですが、建物が古く、そのホールの天井が崩落し、亡くなられた方が出たわけです。

 

実は、その当時は別な職場にいたのですが・・・

その職場は九段下で、今の職場よりも九段会館に近いところにありまして・・・

職場で大きな会議をする場合、この九段会館をよく使用していたんですよね。

つまり、地震が起きた日が別な日だったら、ここで会議に参加していて、自分が天井崩落にあったかもしれないんですよね・・・。

 

そういった意味で、東日本大震災当は他人事ではないんですよね。

 

 

その後、九段会館から近いところ・・・
北の丸公園の田安門(江戸城の門の一つ)の近くにある昭和天皇御野立所の碑に行って、ここでもお祈りです。

大正12年、関東大震災が発生、被害が酷く、東京遷都の噂が流れたそうです。

当時、大正天皇の御代でしたが、皇太子(昭和天皇)が摂政を務められており、震災直後に被災地を御視察されたそうです。

6年有余の歳月と巨費を投じて再建に努め、漸く復興が成り、昭和5年3月26日皇居前広場に於いて帝都復興祝賀の式典が挙行・・・

昭和天皇は、これに先立つ24日、被害の甚だしかった下町一帯の復興状況を、約5時間にわたり御視察・・・

その第一歩を駐めさせたのがこの地で、当時はここから東京湾まで眺望することが出来たそうです。

 

言うなれば、関東大震災の復興を確かめた第一歩の地だったようです。

関東大震災の復興にあやかり、東日本大震災を復興を祈ったしだいです。

 
この場所から、九段会館がよく見えるのは、何か考えさせられます。