源頼朝・・・
1147-1199
鎌倉幕府初代将軍。
源義朝の三男、母は熱田大宮司季範の娘、妻は北条政子。
源義朝の三男、母は熱田大宮司季範の娘、妻は北条政子。
平治の乱後の処分で、伊豆蛭ケ小島に配流。
治承4年(1180年)平氏打倒の兵を挙げ、石橋山で大敗するが、安房に逃れて勢力を拡大、鎌倉を本拠として東国を支配する。
源義仲、平氏、奥州藤原氏を滅亡させて、建久3年に征夷大将軍となり、我が国初の武家政権を樹立した。
そうそう、昨年の秋~冬に鎌倉を回ってましたが・・・
鎌倉を回ってますと、頼朝さんのスポットもよく目にしました。
そう言えば・・・
以前に東京国立博物館にて、木造伝源頼朝坐像(重文)という像を見たことがあります。
鎌倉の鶴岡八幡宮に伝来した源頼朝とみられる像で、重文に指定されてます。
姿形、大きさが共通する像が鎌倉に2軀あるそうです(建長寺の北条時頼像、明月院の上杉重房像)。
伝頼朝像は重房、時頼像より遅れる13世紀後半から14世紀初め頃・・・頼朝の没後100年ほど過ぎてつくられたとみられるようです。
鶴岡八幡宮にあったので、源頼朝とみられるだけで、確証はないようで・・・
だから伝頼朝像のようです。
そう言えば、僕(現47歳)らが小学・中学の歴史で習った時の頼朝の肖像画と言えば、下のリンク先にある神護寺三像の一つです。
ちょっと見ずらいかもしれませんが、自分の持ってる歴史本もこんな感じで載ってます。
この絵を見ると、けっこうイケメンなんですよね・・・頼朝ってイケメンなんじゃないかと思ってたのですが・・・
でも、近年の研究では、この絵の人物は足利直義(尊氏の弟)ではないかと言われ・・・
この像自体は、伝源頼朝と呼ばれるようになってます。
ちなみに・・・
甲斐善光寺に源頼朝坐像があるそうですが・・・
その像の内部から、頼朝の死後に北条政子がこの像を作るように命じた文書が出てきてるそうです。
自分の持ってる歴史本に載ってたので、それをご紹介しますと・・・
イケメンではなく、ちょっとショボショボのオッサン・・・
これが現実なんでしょうね・・・。




