【お】小田城(おだじょう);つくば 古きも新しきも知る旅⑨ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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7月の海の日、そして8月の三連休・・・

近場なんですが、つくばを旅してきました。

8月三連休の三日目は、レンタサイクルを使用して、つくば にある城跡を見てきました。

 

 

まずは、つくば駅から自転車で10kmくらい走ったところにある小田城跡に行ってみました。

 

 

小田城・・・

鎌倉時代から戦国時代末に、つくば市の小田にあったお城です。

この地に勢力を張った小田氏の居城になります。

 

鎌倉有力御家人の宇都宮氏の一族 八田知家(小田氏の祖)が常陸守護に任じられ、ここに居館を構えたのが始まりと言われてます。

南北朝時代には小田氏は南朝に属し、ここに入城した南朝の中心人物 北畠親房は城内で「神皇正統記」を執筆したと言われてるそうです。

戦国時代には多くの攻防を繰り返し、最終的に小田氏は佐竹氏に攻められて、小田城は佐竹氏の管轄下となります。

そして、1602年に佐竹氏の転封により、小田城は廃城になります。

 

 

 

 

小田城跡を目指して自転車を走らせてますと、お城の2km手前くらいから田園風景が続いていました。

お城は斜め左の方向のだいぶ先になります。

 

 

現在、小田城跡は歴史公園として整備されています。

その歴史公園に、あともう少しの距離のところの田んぼを見てますと・・・

段差になっているところなどが所々に見えました。

この辺も城域に当たりますが、こういった段差などはお城の遺構なんでしょうかね。

 

 

走っていますと土塁が見えました。

この中が本曲輪のようです。

土塁の中は、完全に公園として整備されてました。

ここは建物跡の遺構も発掘されたようです。

 

本曲輪の東側には堀を挟んで、東曲輪。

なぜか東曲輪に小田城跡の石碑がありました。

これだけ立派な石碑は、本曲輪にあった方が良いと思いますが・・・。

 

また、本曲輪の西南の角には馬出曲輪が整備されてました。

馬出は、城からの出撃口になります。

曲輪の前面が土塁などで防御されていて、脇部分から出撃できるようなスタイルとなっています。

これだけ整備された馬出は初めて見たかもしれません。

 

 

あまり有名なお城ではないかもしれませんが・・・

歴史的な奥深さ、現在きちんと整備されてるところを考えますと、なかなか面白い城跡だと思います。

 

ちなみに、小田氏の最後の当主で第15代の小田氏治は、一部のマニアックな歴史ファンに人気があるそうです。

ひょっとしたら、この小田城ももっと注目されるかもしれません。