【し】壬申の乱(じんしんのらん):関ヶ原な旅(10) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

今年のゴールデンウィークは・・・
前半の三連休に岐阜に行ってきました。

関ヶ原を中心に旅をするのがテーマでして・・・
二日目は一日をかけて関ヶ原を回ってきました。



関ヶ原と言えば、天下分け目の大戦である関ヶ原の戦いがあった地でもありますが・・・
古代史上の最大の内乱である壬申の乱の一戦がこの地で行われたとの伝承があるそうです。


壬申の乱は、天智天皇の没後、天智天皇の皇子であり後継者である大友皇子に対し、天智天皇の皇弟である大海人皇子が反旗をひるがえして起こした戦いです。
最終的には大海人皇子が勝利し、天皇位につき天武天皇となっています。

乱を起こす直前までは、大海人皇子は奈良の吉野に下っていましたが、672年6月24日に吉野を脱出し・・・
6月26日に伊勢で、先行した村国連男依(大海人皇子の舎人)より不破の道を塞いだ旨の連絡を受けています。

この「不破」が関ヶ原を含むこの一帯の地名です。
ここの道を塞いだということは、敵の大友皇子がいる近江の大津にある朝廷と東国の連絡を断つことになります。
ちなみに、乱の終結後にこの地に関所を設け、不破関と呼ばれるようになります。

同日の6月26日に、大海人皇子は自分の子供の武市皇子を遣わしてます。
6月27日に、大海人皇子が野上(関ケ原町野上)に到着。
6月28~29日には武市皇子のいる和蹔(わざみ;関ヶ原の地)へ行ったり、野上に戻ったりしてます。
7月2日に、数万単位の兵が不破から出陣し、近江方面と大和方面へ二手に分かれて向かっていってます。

手元に持ってた日本書紀の現代語訳版を見ますと・・・
関ヶ原近辺の記述は、上のような感じで、記録上は関ヶ原の地で壬申の乱のうちの一戦があったことは書かれてませんでした。
でも、地元の方では戦いの伝承があるんですよね・・・。



その伝承があるのが、こちらの関の藤川(藤古川)です。

不破関の関所そばを流れているため、関の藤川と呼ばれてるようです。
上流は、関ヶ原の戦いで大谷吉継が陣を布いた山と天満山(宇喜多と小西が布陣)の間を流れる川です。

壬申の乱では、東に大海人皇子軍、西に大友皇子軍が陣を布き戦ったと言われてるそうです。

そういうこともあってか・・・
この川の東には、大海人皇子(のちの天武天皇)に関するスポットが多く・・・
西には、大友皇子(弘文天皇;明治時代に追号された)に関するスポットが多いです。


まず川の西側・・・

川に架かる藤古川橋から西へ行くと急な坂がありますが、その頂上手前に矢尻の井(池)があります。

大友皇子軍の兵が水を求めて矢尻で掘ったところ、泉になったそうです。

その泉から南へいったところ、丘の斜面・・・
鬱蒼としたところに、自害峯の三本杉があります。

実は、ここは弘文天皇御陵候補地です(弘文天皇は、大友皇子のこと)。

壬申の乱で敗れた大友皇子は大津で自害、その首は野上にいた大海人皇子のもとへ届けられたそうです。
首実検後、地元の人々が首をもらい受け、ここに葬り、目印として三本杉が植えられたそうです。

この岡の麓には黒血川と呼ばれる川が流れています。

672年7月2日に玉倉部邑(滋賀県醒ヶ井)で両軍の激突があり、この川は両軍の血で川底の岩石が黒く染まったとの言い伝えがあります。

藤古川橋をずっと南に行ったところに藤下の若宮八幡神社があります。

創建は定かではないですが、1320年に弘文天皇を祀るようになったそうです。


そして、藤古川の東側・・・

藤古川橋のから東へ進むと、民家・畑の敷地の中にちょっとしたスポットがあります。
その一つが兜掛石・・・

もう一つが沓脱石です。

大海人皇子が兜を外してかけた石と沓を脱いだ時に足をかけた石です。
同じ敷地内にあります。

藤古川橋のから川沿いに東岸を南下していきますと、井上神社という神社があります。

こちらは天武天皇を祀った神社です。
川の東西で布陣した軍の奉った皇子をそれぞれ祀った神社があるのが面白いですね。

そして、東方向に一挙に行ったところ・・・
国道21号沿いにある桃配山も壬申の乱 関係のスポットです。

関ヶ原の戦いで家康が最初に陣を置いた場所でありますが・・・
ここは大海人皇子が兵への激励のために桃を配った場所であり、それが名前の由来となっています。
ちなみに、桃は古代では呪力のあるものと考えられておりまして、鬼を退治する桃太郎も呪力のある桃から産まれたからです。
そういった意味で、桃を配ったというのは大きな意味があるわけです。

今回は行けませんでしたが・・・
桃配山のさらに東に行くと野上行宮跡があるそうです。
672年6月27日に大海人皇子が到着した場所です。
ここを本営として、各軍に指示を出していたようです。



・・・と言うことで、関ヶ原の戦い以外に、壬申の乱のスポットも中々見どころいっぱいです。