初日の土曜は姫路城観光でほぼ終了。
二日目は明石駅周辺をうろついてみました。
明石駅のプラットホームに立つと、嫌でも明石城が見えるんですよね・・・
と言うことで、まずは明石城を回ってみることにしました。

明石城は、明石藩の政庁であり、藩主の居城でもありますが・・・
徳川家康の曾孫で明石・三木・加古・加東の四郡10万石を領した小笠原忠真が、徳川秀忠の命をうけて築いた城になります。
その後、小笠原家は豊前小倉へ移封、藤井松平家、越前松平家など譜代・親藩の大名が明石藩を受け継いでます。
現在は、明石城公園として整備されてます。
その公園内に入る前にですが・・・
公園の南東の端の方に、道を挟んでお城の向かい側に織田家長屋門というものがあります。

この門があるところは、かつて明石藩の家臣や重臣たちが住む武家屋敷町だったそうです。
船上城から移築されたものらしいですが、船上城は明石城が出来上がるまでの小笠原忠真の居城になるそうです。
大手門より公園に入りますと、右手に武蔵の庭園とよばれる庭園が見えます。

剣豪 宮本武蔵は小笠原家の客分として滞在してたことがあるそうです。
武蔵は、明石の町割りや城内樹木屋敷(城主の散策・休憩・客のもてなしのためにつくられた遊興所)の設営にかかわったようです。
但し、実際はここに樹木屋敷はなかったようで、別な場所にあったそうです。
そして、奥に見える石垣と櫓、そこで囲われたとこが本丸になります。

かつては、本丸の四隅にそれぞれ櫓があったようですが・・・
現在は、坤櫓と巽櫓の二つが残っています。
また、天守閣については築かれる予定でしたが、最終的には建設されなかったそうです。
こちらが、坤櫓。

大手門から見て左側・・・西側にある櫓です。
天守閣のなかった明石城では、この坤櫓が天守の代用とされてたようです。
もう一つの巽櫓。

せっかくなので、本丸に上がってみました。
先ほど、天守閣はないと書きましたが・・・
土台となる天守台はあります。

ちょうど坤櫓の北側すぐのところです。
ここまでは造ったんですが、結局やめてしまたようです。
本丸の中央付近に人丸塚という塚があります。

柿本人麻呂を祀った人丸塚が築城前からあったそうで、築城後は城の守り神としたそうです。
さて、本丸の坤櫓と巽櫓の間には展望台がありまして・・・

ここから南の方を覗きますと明石駅が見え・・・
南東の方を望みますと、明石海峡や明石大橋が見えるんですよね♪

これはチョット見ておいた方が良いと思います。