【ま】松平郷(まつだいらごう)①;三河旅行(4) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

今年は、徳川家康没後400周年ということで・・・
シルバーウィークに愛知県の三河エリアを旅行してきました。
三河は家康の最初の領国ですからね。


三日目は豊田に行ってきまして・・・
豊田市街を回った後に、市街からバスで30分くらいのとこへ・・・



そこは松平郷です。
松平郷は、徳川氏・・・そしてその母体である松平氏の発祥の地です。

後宇多天皇に仕えた在原信盛がここに入郷し、開拓して領主となり、松平太郎左衛門と通称としたそうです。
信盛の子の松平信重の時に、僧の徳阿弥がここに流れつき、信重の客人となります。
この徳阿弥が信重の末娘の婿として家を継ぎ、松平太郎左衛門親氏と名のるようになります。
この親氏が、徳川家の直接の始祖となるそうです。

松平親氏・・・
もともとは、僧の徳阿弥だったわけですが・・・
阿弥号が付いてるので時宗の僧とみられてるようで、乞食僧だとも言われてるようです。
新田源氏の流れを組む世良田氏の末梢とされてるそうですが・・・
戦国期にはたいていの大名が源氏か平氏の末裔を名乗ってましたから、まぁ、あてにはなりませんよね。
ちなみに、親氏を初代としたとき、家康は松平氏の9代目になるそうです。



さて、その松平郷ですが・・・
豊田市街から10kmくらいのところにある山間の村になります。
本当に山だけの土地で、松平氏は よくこんな辺鄙なところから岡崎のような平野部に進出で来たよなぁ・・・と、松平氏の前半の人々のエネルギーというものを思い知らされました。


バス停から国道に沿って歩いていると、「松平発祥の地」との誘導看板がありましたので、国道から北へ細い道を入ってみました。


北に入ると、まずは松平城址との誘導看板がったので、そちらへ・・・



本当にこんな山村なんですよ。
こんな山道を歩いてますと・・・



松平城址の石碑と説明看板・・・

松平城は松平親氏が築いた山城です。
平時の居館である松平館に対する詰め城で、不時の時にたてこもったようです。

でも、ここは城址への入り口です。
典型的な山城でして、本丸はけっこう上になります。



こんな山道です。
足場かなり悪いです。

そして、本丸はこんな感じです。



室町時代前期のお城なんで、本丸はさほど広くないです。

郭は4つあるようで・・・
本丸見た後に、他の郭も見ようと思ったのですが・・・
この時期の山には、スズメバチが結構うろついてまして・・・
身の危険を感じたので、本丸を堪能しただけで城跡から退散してしまいました。


ちなみに、松平氏3代目の信光は岩津城(岡崎市北部)に移り、信光の庶兄である信広が松平館・松平城を受け継いだそうです。

信光の流れが松平宗家で、後に家康へと続きます。
信広の方は松平太郎左衛門家となり、明治維新まで松平郷を領地としたそうです。




松平郷の観光はまだまだ続きますが・・・
ここで、一回閉じておきます。
(つづく)