長岡城・・・
越後長岡藩のお城で、堀直寄によって築かれ、その後の藩主となった牧野氏の居城となってます。
江戸時代に築かれた城なので、天守はなく、三階櫓を代用としてたそうです。
このお城が歴史に大きく名を刻むのは、戊辰戦争における北越戦争の舞台となったこと・・・
長岡藩は新政府軍にも旧幕府軍にも従わず、武装中立の方針であったが、新政府軍との会談が決裂し、奥羽列藩同盟に加わることに・・・
その北越戦争では、新政府軍に長岡城を奪われるも、後日に列藩同盟軍は奪い返すというドラマチックな展開を見せます。
でも、最終的には新政府軍によって長岡城は再び落城してます。
そんなお城が長岡城です。
長岡プチ旅行の初日は、かつて長岡城だったとこを中心に回ってみました。
まずは、長岡駅に降りたちまして・・・
大手口という出口から街へ繰り出しました。
大手口って名前は、お城の大手が予想されますよね。
駅の大手口から歩いて、5分程度のところに長岡城址の碑がありました。
ちょうど桜の下に、「長岡城址」との碑があります。
ただ、ここってお城の二の丸跡で、実は本丸は長岡駅あたりだったらしいです・・・。
ちなみに、この奥に城内稲荷神社があります。
この二の丸跡は、駅の大手口から西に延びる大手通り沿いにありますが・・・
大手通りをさらに西に行った交差点に別な碑があります。
米百俵の碑になります。
小泉純一郎が話したことで有名になった米百俵・・・
ここは、国漢学校跡地だそうです。
北越戦争で荒れた長岡に、三根山藩から米百俵の救済が届くのですが・・・
小林虎三郎は教育と人材育成の重要性を説き、それまでお寺の本堂を借りて使っていた国漢学校をこの地に移し、新校舎を建てたそうです。
その後、大手通りから離れ、北側へ・・・
桜のきれいな場所がありました。
柿川という川の岸です。
殿町稲荷神社という神社がありました。
この神社に関しては、観光マップに載ってませんし・・・
調べても、由緒が分りませんでした。
けっこう桜がきれいなんで、ちょっとした観光スポットにすれば、いいのだと思うのですが・・・。
ここの稲荷から西に少しいったとこにあるのが平潟神社です。
もともとは違う場所にあったそうで、長岡築城の時に移されたそうです。
ここには防空壕があったそうで、長岡空襲の時には多くの人が避難したそうです。
ここの桜も見どころでした。
まだまだ街を歩きたかったのですが、この日はあいにくの雨・・・
ここで、いったん駅に戻りました。
駅に戻りますと・・・
長岡駅の中に良寛さんの像が・・・
良寛さんの生まれは、同じ越後内の出雲崎で、終焉の地が長岡市内にあるようです。
子供相手に遊んでるイメージが大きいですが、かなりストイックだったとも聞いたことがあります。
その後、駅の逆の東口から出て、近くの福島江と言う用水路沿いの桜を見て、初日の観光を終えました。
(福島江の桜については、別記事に掲載済みです)