【く】黒谷(くろだに):京都府京都市 | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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2012/12/22~12/24の三連休で京都に行ってきました。

『【て】寺田屋(てらだや)』の続きです。

 


実は2012年は、これ以前にも2度ほど京都へ行き、東山近辺を攻めに攻めました。

東山、残るはちょっと!

連休の2日目は、その攻めの続きのため東山の総仕上げ(?)をするため東山の北部に行ってきました。

もっとも、どこまでが東山で、どこから東山かよく分ってませんが・・・

まぁ、ガイドブックで東山と紹介されてるところという判断で・・・。


 

とりあえず、2日目の前半は黒谷周辺のエリアを回りました。

平安末期に法然(浄土宗開祖)が比叡山の黒谷を降りて、庵を結んだのがこの辺りで、そこも黒谷と呼ばれるようになります。

 

 

 

 

黒谷へ向かうべくバスに乗り、岡崎神社前という停留所で下車。

その停留所は、真宗大谷派(東本願寺)岡崎別院の前なので、そのまま岡崎別院へ入ってみました。
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ここは親鸞(浄土真宗開祖)がここに庵を結び、法然のもとへ通っていた場所だそうです。
当時新興宗教にあたる法然の教団は法難にあい、法然が四国、親鸞が越後へ流されます。
配流の際に親鸞は名残を惜しんで、この池に自分の姿を映したというエピソードがあるそうです。

 

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岡崎別院の東側にあるのが、岡崎神社
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桓武天皇が平安京に遷都の際、王城鎮護のため都の四方に建てた社の一つ(ここは東)です。
当時、この辺りは野兎が多く、氏神の使いとされていたようです。
神社のいろいろなところに兎がありました。

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その後、岡崎別院と岡崎神社の間の坂を上がって行きました。

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上がった先にあるのが、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)です。
比叡山を降りた法然が庵を結んだのが、この場所だそうです。

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坂を上がると見えるのが、蓮池という池です。
源平合戦の頃の武将で、後に法然の弟子となる熊谷直実(出家して蓮生)がこの池の近くに庵を結んだそうです(現在は塔頭の蓮池院)。
池から更に進んでいくと、御影堂や阿弥陀堂のある広大な境内が広がっています。

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それと、墓地の中に三重塔があります。
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三重塔は寺域の中でも高所にあるので眺めがいいのですが・・・墓地なんですよね・・・

 

 

 

さて、金戒光明寺の北側に真如堂と呼ばれる大きなお寺があるので行ってみることにしたのですが・・・

近いだろうと思ってたら、けっこう大周りをしてしまって・・・けっこう大変でした。

しかも着いたのが、お寺の裏側!でも、下の画像は、表側から撮ったものです。
 

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真如堂の正式名は真正極楽寺と言い、比叡山の戒算という僧侶が比叡山常行堂の阿弥陀如来を本尊に創建したそうです。

阿弥陀如来は比叡山の慈覚大師(円仁)の作と言われ、大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いたという伝説があるそうです。

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この日は この後に「哲学の道」を攻めたのですが・・・

それは次回へ。