見上げると、鬱蒼と茂った緑の木々の隙間から眩しいほどの青空が見えた。
ナオタは流れる汗を手の平でぬぐい、曇っためがねをシャツの裾で拭いた。
バアサンちの裏庭で薪を割り終えると、土間をぬけ台所にいき家用の冷蔵庫から麦茶を取り出し、喉を鳴らしてコップ二杯を飲み干した。
「終わったか?」
振り向くとバアサンが土間の上がりかまちから白い割烹着姿で仁王立ちしていた。
白髪頭をひとつにくるりと巻き上げ、浅黒い顔には皺が刻まれ、目だけがギョロギョロと光るバアサンは妖怪染みていて、ナオタが物心ついた頃から年齢不詳であった。
今は80歳を過ぎているはずだが。
このバアサンはナオタにとっては父方の祖母であり、5年前に死んだジイサンが20年前に始めた断食道場の名物ババアだ。
「終わったよ、薪割りは済んだ」
「そうけ、じゃ、こっちこい」
鋭く光るギョロ目でナオタを圧すると、年寄りとは思えぬ軽い足取りで道場に歩いていく。
慌てて追いかけていくとナオタは道場に着くまでに、覇気がねえ!と言いがかりとしかいえない理由でバアサンが「入魂棒」と呼ぶ20センチほどの木の棒で二回こづかれた。
道場に着くとバアサンは雑巾を二枚絞り、一枚をナオタに渡すと入魂棒を白髪頭に差し込み、ふいに用意ドンと掛け声をかけ軽快に板の間に雑巾を滑らせ拭き始めた。
どちらが先に道場の半分を拭き終わるかで、今日の昼飯当番が決まる。
大抵、ズルをして道場を丸く拭いて終わるバアサンに、几帳面に端まで拭くナオタが負けるのでこの勝負はあってないようなものだ。
ナオタは一度バアサンを真似て丸く拭き、100年早えわ!と入魂棒でこれでもかと小突かれてからは、端まで拭くように心がけている。
入魂棒は案外痛いのだ。
「今日も負けはおめえけ、おれはそうめんが食いてえな」
バアサンは昔から自分のことをおれといい、ナオタをおめえと呼ぶ。
ちなみに他人の事は「あんたさん」だ。
バアサンからすると「あんた」だけでは失礼なので「さん」をつけて、丁寧語だと思っているのだろうと父親が以前解説してくれた。
大学を一年休んで見聞を広げるためにアメリカ留学をしたいと夢みたいな計画をナオタが両親に相談すると、なら10万やるから田舎のバアサンちにいって見聞を広げてこいと両親に丸めこまれこの山奥の断食道場に住み込んで早二ヶ月。
両親は勝手に大学に休学届けを出し、バアサンにはナオタの性根を叩きなおしてくれと連絡を入れていた。
ナオタはそれまでつるんでいたマルチ商法勧誘のバイト友達や、大学の「シティ冒険サークル」の仲間から引き剥がされ、携帯の電波も届かぬ山奥で絵本のじいさんみたいに薪割りをしたり、道場の床を磨いたりの毎日を送っていた。
目の前につるされた人参の10万に目がくらみ、うっかりバアサンの所にきたナオタだからこの生活に1日で音をあげ逃げ出そうとしたが、バアサンはなかなか手強く逃げ出す機会を見つけられぬまま二ヶ月がたっていた。
しかしナオタも道場にやってくるデブの世話を焼いたり、バアサンとのくだらない勝負をするうちに何故かこの道場に居心地の良さを見出してもいた。
東京の生活はいつも何かに急かされ、消費に追われ金が必要な日々だったが、田舎の暮らしは流れる時間が違い、圧倒的に多い緑に自然の雄大さの懐に抱かれるような気分になる。
ナオタはこれが癒しというのかもなぁと、最近では思い始めていた。
「なあ、バアサン。
どうして死んだジイサンは断食道場なんてはじめたんだ?」
そうめんをすすりながら、歯茎が歯と化したばあさんにきいた。
「そりゃおめえ、ジイサンがメシの用意もなくてデブを泊めれば金儲けできるって言い始めたからよ」
ナオタは入れ歯を出し入れ自由に飛び出させるという得意技をよく披露していたジイサンの顔を思い出していた。
顔は似ていないが、テレビで高田純二をみるたびに死んだジイサンを思い出す。
「なんだ、それ?もっと立派な理由とかねえのかよ」
「なんだ、おめえ。じゃ、おめえは生きてるのに立派な理由でもあんのか?あっ?」
バアサンはひからびた胸の谷間から入魂棒をとりだすと片手にあてがいながらチラつかせ、ナオタを見据えた。
「おめえは大学なんかいきくさったクセに、人様を騙す片棒担いだり、街ん中でビルに上って大勢で騒いだりして、親に迷惑かけた挙句、外国いきてえから金だせって言ったんだろ?そんな若造が、自分の力で稼いで食ってるおれに意見なんかいえんのか?」
「確かに、マルチ商法を紹介したし、サークルの仲間と新宿のビルに登ったけど、どれも悪気はなかったし、留学だって本当にしたかったんだよ」
ナオタは口をとがらせ言い訳した。
「んあ?悪気がなければ、それでいいってか?バカか、おめえ。人を殺して悪気がねえっていえば、警察につかまんねえか?あっ?」
入魂棒でこづかれ、ナオタは眉をしかめた。
「おめえがしたことは、他人様を陥れたし、迷惑もかけたし、挙句に親不幸してんのがまだわかんねえのか?誰に似た?」
ナオタは不意打ちで入れ歯を飛ばし人が驚く顔をみて喜ぶじいさんを思い浮かべていた。
「この道場に来るデブだってな、み~んな自分の力でやってきて、変わりてえってメシも喰わねえでがんばんだよ。自分が変わるためには、人様の金や力では、変われねえんだってわかってんだ」
確かに、デブ達は汗を拭き拭き山奥まできてメシを抜き、運動をするだけなのだが帰りにはナゼかどいつもこいつも晴れ晴れとした顔をしている。
「一キロ、二キロ、痩せたくれえで見た目がそんなに変わるわけもねえが、デブ達はな、その数キロ痩せる努力ができた自分が嬉しいんだよ、できそこないでダメな自分から抜け出て変われたっておもうんだ、わかっか?考えの浅いおめえに?」
「うーん。おれデブじゃねえし、まだよくわかんねえな」
そう言ってそうめんをすすると、バアサンは入魂棒で肩を叩きながらナオタを見据えていた。
「おめえはここにくるデブとおんなじじゃ、デブは身体は肥えてるが心が飢えているのが多い、おめえは心のどっかが飢えていて人様の痛みがわかんねえんだな。
ここでたっぷり人生について考えてみろ!」
バアサンは麦茶を一気飲みして、立ち上がると首をコキコキならした。
「おい、おめえ、明日はなんとかっつう輩がやってきてイベントつうのをやるんだからよ。
風呂を洗ったり、布団用意したり、忘れんなよ」
「おう!」
ナオタは箸を持ち上げ、バアサンにこたえた。
「それから手伝いに美幸と朝子も朝からくっからよ」
数キロ離れた隣家の大仏パーマのオバサンと、その妹は忙しい時にだけ頼むパートだ。
なんと明日はダイエットアイドルのヒナタがやってきて、デブ達から金を巻き上げるのだ。
宿泊予定者の中にはあきらかにヒナタのおっかけであろうオッサンや、親子で参加するやつらもいる。
ナオタは芸能人に接するめったにない機会だというのに、ツイートできない事が一番残念だった。