おだわらぐらし -65ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき)
聴秋閣を見た後は 「春草廬(シュンソウロ)」へ行ってみました。

(↑左奥にチラと見えているのは先見た「旧天瑞寺寿塔覆堂」。/ 右へ行くと春草廬です。)



(↑大きな銀杏の木。グーグルマップにも「内苑の銀杏」と表示されますから 広い園内での「目当て」にもなっているのでしょう。)

雑木林に埋もれそうに建っているのが 春草廬 。/ 信長の末弟-小田有楽斎作と伝わる茶室です。 / 余談ながら有楽斎は漫画『へうげもの』の中で一番好きなキャラでした^^;

↓手前に石棺。

↓説明板。/家形石棺は 奈良・海竜王寺付近出土(5~6世紀)、舟形石棺蓋は 奈良・法華寺付近出土(3~4世紀)_ですって。



↑何ゆえ これらの石棺の一部(蓋のみ、やら くりぬき式の身のみ、やら)がここに置かれたのでしょう? しかも はるばる奈良から...)

_ともあれ 春草廬を見ましょう。



↑右に待合。
↓少し高まった所に 茶室。




左奥に躙り口。

↓説明板。

↑オリジナルは「九窓亭(クソウテイ)」という九つの窓を持つ「三畳台目(サンジョウダイメ)」で 宇治の三室戸寺(ミムロトジ)金蔵院(コンゾウイン)にあったそうです。横浜へは 前頁に貼った「月華殿」とともに運ばれ、一旦は原三渓の私的生活空間「白雲邸」に隣接して移築されていましたが、空襲を避けるため 解体して保存され~ 戦後この場所に建てられた、といいます。
(尚、今は一つの建屋のようになっている右側の広間と水屋は 移築後に付け加えられたもの、とか。)

少し引き返し_

原三渓自身の構想により建てられた、という茶室「蓮華院」へ向かいます。




清々とした感じの建屋ですが_

↑躙り口がありませんね?(普通の茶室の「貴人口」のようなところから入室するようです_)
↓説明板。

↑「建築年:大正6年(1917)
原三渓自らのプランにより建てられた茶室です。建物の一部には京都・宇治平等院鳳凰堂の古材が使われ、また一部の天井にはの茎が用いられています。」
蓮華院、の名は↑この「蓮」から のようですね?
↓因みに、 この蓮華院は元は 先ほど見た「春草廬」がある位置に建てられていたそうです。「春草廬」に場所を譲って こちらへ移築となったようですが ハテ なぜに? (原三渓を知りたいと思う人なら 原三渓自身の構想で建てられた茶室の元々の様子を見たいでしょうに・・・)


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さて、これで内苑をくるりと回った事になります。
続いて 外苑も見て行きましょう。

(↑池の端に出たところ_)


↑あー、旧燈明寺三重塔は 今回はあきらめましょう 時間がありません^^;)

(↑この分かれ道を 右へ上がれば三重塔_)

分かれ道を左にとり、池に架けられた橋を渡って行くと_


大きな屋根を持つ 立派なお寺が見えてきます。

(途中に橋がいくつもあるので すぐには向かえないのですが・・・)

これは「旧燈明寺本堂」。




元は 丘の上の三重塔と同じ京都の木津にあった、というので てっきり 三重塔と一緒に 横浜へ運ばれたのかと思いましたが さにあらず。
この建屋は第二次世界大戦直後の台風で被害を受け 解体され そのままとなっていたところ「(大正時代に)三重塔が移築されていた縁により、三溪園に寄贈され、昭和62年(1987)に移築」された_ のですって。
尚、移築前の燈明寺は日蓮宗のお寺でしたが、開創は奈良時代行基による伝承をもつ(という事は法相宗?)ほか 今残る建屋は室町時代に天台宗の僧によって復興なった時のもの~ と複雑な歴史+経緯があり_
三渓園に移される際 室町時代の「密教寺院」の様式での復元された、そうです。
↓説明板。

中には十一面観音がお立ちでしたが 「複製品」だそうで、 お寺としてではなく「建屋」として守られている風でした。_ ちょっと寂しく思った事です...。

さて、旧燈明寺本堂の手前(北)になりますが_

観心橋という橋の東で小社を見ております。



↑「三渓園天満宮」。/ 横の説明板によると「三渓園近くにある間門(マカド)の旧家・高梨家が江戸時代に同地の尾かの中腹に祀った間門天神(マカドテンジン)がその前身です。昭和51年(1976)に三渓園に移されました。」だそうです。
↓社の脇には青面金剛童子(ショウメンコンゴウドウジ)と見える石造物がありました。(元々は六臂の立像だったのでしょう。面立ちにちょっと幼さがあって 可愛らしい^^)

↑これにはどんな謂れが?
↓この他 鳥居の近くに狛犬もいましたが_


↑左の物は 頭部が大きく欠損していました。
↓説明板によると_

観心橋の東詰めには 元々は楠木正成を祀る「楠公社(ナンコウシャ)」があり、狛犬達は その楠公社の狛犬だったそうですが、 大戦の折 楠公社は空襲焼失、左の狛犬もこのような傷をおった_ のですって。。。 (+この時の空襲では 楠公社の近くにあった「皇大神宮」も失われてしまったといいます。)

道を南へ歩いて行きます。

↓なんと のどかで鄙びた景色か。(ここ 本当に本牧?)



↑道端のお地蔵さん。(左手に宝珠を持つ半跏像。元々は右手には錫杖をお持ちだったか?)
↓民家が見えてきた。_な訳は無い。




↑これは「横笛庵(ヨコブエアン)」という建屋。(横笛は 平家物語に登場する 建礼門院の女房の名。この建屋内にはかつて「横笛の像」があったそうで、名は そこからつけられた と言います。)

↓その先に 合掌造りの建屋。

旧矢箆原(ヤノハラ)家住宅」、です。


白川村の御母衣(ミボロ)ダム水没予定地区にあったため 昭和35年(1960)にここに移築されたそうです。


↓あら、屋根の破風部分が 変わってる。

↑(禅宗のお寺に多い)花頭窓風のレリーフ(?)が施されてますよ?何か意味があるのかな?
↓因みにこの家は 通常は内部も公開されている~のですが、残念、少し前から屋根の葺きかえと耐震工事のため「公開休止」になっていましたー。


_という訳で 外から覗いただけですが~ なかなか立派でした。

↓今覗いているのは「中の間」。

↑正面の仏壇は閉まっていましたが、春と秋の彼岸には公開されるとの事↓。

↓その左手は 書院造の「奥座敷」。

↓玄関から中を見たところ。(右手に床の間と天袋が)。

↓隣は「おいえ」と呼ばれる板の間。

↓「おいえ」の手前の縁側には花餅(ハナモチ)が飾られていました。

↓「おいえ」の囲炉裏。


(↑手前の「おいえ」の囲炉裏の他、右奥の「だいどころ」という板間にも囲炉裏がありますね。/尚 この家があった地方では家の中にかまどはなく、囲炉裏で煮炊きをしていた、そうです。)
↓「おいえ」への入口。


(↑奥が「だいどころ」。)
↓「おいえ」の右隣りは館内案内図では「うまや」となっていましたが、今は板張りです。


↑右奥に階段。(←後づけの物だそう。)/ 見学者は あそこから上の階へも行ける、のかな?

↑ちょっとわくわく^^)
↓時にこれは何でしょうね?

縁側の外に 鉄の「輪」がついていたんですよー。/ 宿場町などで見る 馬を繋ぐ綱を結ぶ物? に似ていますが それにしては位置が低すぎるようなー?

_とこんな感じで、思いのほかに 見応えありましたー。



↓その先に「旧東慶寺仏殿」。

えー?東慶寺仏殿?(東慶寺って今もありますよね?どういう事?)



↓説明板。

↑「建築年:江戸時代 寛永11年(1634)
 移築年:明治40年(1907)
仏殿とは、仏像を置いて礼拝するための寺院建築です。この建物は縁切寺の名で知られる鎌倉・東慶寺にあった、江戸時代初めごろのものとされています。
東慶寺は明治時代になると建物の維持が困難となり、三渓園に移されました。この時、原三渓が建物の内部に納めた記録には、僧侶の説法の場所として使用し、三渓園を災いから守る目的から移築したことが書かれています。」
へー。


丘の麓を回って 三渓記念館へ向かいましょう。


左手(丘側)に梅林。


うねる樹形から「臥竜梅(ガリョウバイ)」と呼ばれる梅で、下村観山の「弱法師(ヨロボシ)」に描かれた梅の木のモデルになった、そうです(!!!)



その先にあった簡素な東屋。

初音茶屋」、という 開園当初から設けられていた 無料の湯茶接待所だそう。


「ひとはかり浮く香煎(コウセン)や白湯の秋」。 大正4年(1915)の初秋 ここで香煎(←白湯に溶かす飲み物)の接待を受けた芥川龍之介の句、とか。

↓では 記念館へ。



(↑ああ、耳庵が立つのは「松永記念館」の前ですね。)
前の頁にも打ちましたが、
この時掛かっていたのは「拝啓、三渓先生」という 原三渓から大きな影響を受けた松永耳庵の目を通して 改めて原三渓という茶人を知る~ という、松永耳庵生誕150年を記念しての企画展でした。

写真は撮れませんでしたので、絵はここまでですが_
「深い学びがありました~」」」 
な~んて書きたいところですが、実は時間がなく 亭主から「こんなペースで見とったら閉まるで!」と言われながらの 駆け足見学でございました。^^;)

<ちょっとオマケ // 展示されている写真の中に 松永記念館の2Fの和室がありました。小田原に住む者にはお馴染みの場所ですが_ へーっ あの部屋の床柱は三渓から贈られた物で 元は平等院山門に使われていた物でしたかー!>

閉館の案内の流れる中 外へ出ると、空は暮れ色、三重塔は黒いシルエット、でした。


この後は南門から退出し_

「上海横浜友好園」脇を通って_




バス停「三溪園南門入口」からバスでJR根岸駅まで行き、大船経由で小田原に帰りました、とさ。/ おしまい。