

(↑このユニークな建物は「東京妙案ギャラリー」)
↓道なりに進むと、左手には明治学院大学のレンガ調の校舎が見えてくるのですが・・・

↓右手にも気になる建屋が_。

↓これは三菱電機 高輪荘 (旧遠山芳三邸/非公開/聞く所によると三菱電機の人は入れるらしい・・・)

↓左手に門が現れました。

ここが「明治学院」大学。

門脇の詰所の守衛さんに「歴史資料館を見学させて下さい」とお願いして キャンパス敷地内へ入ります。(「試験中なので静かにして下さいね」と言われました。 「はい。」)

↓なだらかな坂になった並木道の右手(東)の 芝のフィールドの北に建つのが「歴史資料館」。

↓道を挟んで左手がチャペルです。

ヴォーリズが設計し大正5年(1916)に竣工~するも、大正12年(1923)の関東大震災で被災...。その後 復旧 補強工事が、 昭和に入ると 増築工事が施され、今の外観になったそうです。が、平成に入って保存修理工事が行われ 内部の「正面講壇」は 創建当時の姿に戻された~と言います。(今回私達は拝見してないんですけどね?)




↑チャペル説明板。
改めて、歴史資料館へ向かいます。

↓説明板が立っていました。

↓あれ?「記念館」ですってよ?(どうやら「記念館」建屋の中に「歴史資料館」が入っているもようー)

↑(抄/ 明治23年(1890)竣工の 初代の神学部校舎兼図書館は ネオゴシック様式の赤レンガの2階建てであったが これは明治27年(1894)の地震て大破。今建つのは 二階部分を木造にし西に増築を施した二代目。昭和39年(1964) 国道一号線の拡幅工事のため現在地に曳家(ヒキヤ)して移設し、「記念館」となった今も 小チャペル・歴史資料館・会議室・事務室などに活用されている。)
へー、神学部の建屋だったんですね?


↓入口。

↓ドア部分。

(↑外壁部分 内壁部分似た造りになってますね?キーストーンは同じデザインですし。)
館内、撮影OKでした。


↑今回の展示は 明治学院神学部の卒業生で 牧師であり 同時に作家でもあった沖野岩三郎氏の 生誕150年を記念してのもの、とか。/ 沖野さんは 大逆事件(幸徳事件)で処刑された人達と親交をもっていた時期があり 自身も逮捕された経験を持つ方とか。これは沖野さんの心に大きな傷を残した事でしょう。展示は この事を覚えて観るべきものかな と思いましたがー
↓とても細かく読めるような量ではなく 眺めるだけ、にー^^;)))



(↑へー、 ヘボン(ヘップバーン)先生は 幕末の動乱期に宣教師として来日した方だったんですねー。
↓当時の日本は まだまだ こんな感じ、だったんだー・・・)



(↑上のパネルから横浜の地図部分を拡大。/県庁がほぼ今の場所に建ってますね?/ヘボン先生は平地から山の手に移ってますが 山の手の方が環境がよかったのかしら???)
大学の校舎の移り変わり。



↓沖の岩三郎の著作を紹介するコーナー。



キリがないので この辺でー^^;)
_という訳で、どれほども理解はできていないのですが、伝統ある大学のクラシカルな雰囲気が味わえただけでも 十分お訪ねしてよかった という気持ちになりました。
- - - - -
もう一ヶ所、
資料館の北側の「インブリー館」という建屋も、(外見だけですが)拝見しております。

これはかつて宣教師達のために建てられた四棟の住宅の内の一棟で(残存するのはこの一棟のみ)、 名前は ここに長く住んだインブリー博士の名から~ との事。

1889年頃建てられており 都内に残る宣教師館の中では最古、国内でも二番目に古い建屋~ だそう。(尚、一番古い宣教師館は仙台市にある 1887年に建てられた東北学院大学土樋(ツチトイ)キャンパスの「東北学院旧宣教師館(通称-デフォレスト館)」みたい。)

(↑ドアの前にガラス窓つきの外壁が置かれているのは どうしてでしょう? 風除けかな? それともドア前のスペースも 彼らの暮らしに必要な1コーナーだったのでしょうか?(アメリカ南部の住宅がドア前のポーチにブランコを持ってる~ような 伝統的な何か、とか?)
1998年に国の重要文化財に、2002年には東京都の「特に景観上重要な歴史的建造物等」に指定された、そうです。
↓説明板。

_ありがとうございました。