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おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

明治学院大学 資料館を見学した後は、
荏原 畠山美術館を目指しました。(尚、現在の施設名称「荏原畠山美術館」となったのは2024年9月よりの事で、それ以前(正確には2019年3月まで)は「畠山記念館」でした。)

↑佛所護念会教団 本部前、通過中ー。
↓この角を回ったらすぐ、のはず。


(↑因みに 美術館の北に隣接する_現在白亜の豪邸が建っている場所に少し前まであった料亭「般若苑」は これから訪ねる美術館と深い繋がりがあり 美術館の収蔵品にも「旧般若苑蔵」という品があったりしますので、 ちょっと覚えておいて下さいね?)

↓ここが 入口、みたいですね?(道脇の細長い三角のスペースは 昔の車寄せ(大八車等を停める場所)の名残かしら?)

↓案内板横に「今日是好日」と彫られた石。(その後ろは足の弱い方のためのスロープ)


では敷地内へ。


_時に、ここは元々豊前国森藩主の下屋敷があった場所、だそうです。明治になると薩摩藩出身の寺島伯爵邸となりますが 昭和12年に(ポンプでお馴染み)荏原製作所の創立者畠山一清(ハタケヤマ イッセイ)さん(1881-1971)が買い取り、住居 自分の蒐集品等を展示する棟や茶室などを建て~ 畠山記念館~ 荏原畠山美術館となって 今日に到る、ようです。

↑門扉に見える「丸に二引き」は畠山家の家紋のようですね?

道なりに進みます。

ゲイトがあった。

(↑気持ちを改めるための一種の「装置」的に置かれたものかしら。ここから先は美の世界ですよ、みたいな_)
↓右手に池。



↑かなりの高低差。不思議な地形・・・。

↓左手、塀側には石碑 胸像が並んでいます。

↑左の石には「宏法大師」。弘法大師の事かなあ?別のお坊様かしら? 
その隣の「明治天皇行幸所寺島邸」については 少し先の説明板に載っていました_
ここが寺島伯爵邸だった時、明治天皇が立ち寄り 能を鑑賞されたので「聖蹟」とされたんですって。
その隣には_

「畠山社長還暦寿像」と「井口在屋(イノクチアリヤ)先生像」(←「ゐのくち式渦巻ポンプ」の井口さん。この方も荏原製作所の創業者のお一人)が並んでいました。
(ゐのくちポンプの画像は こちら⇒でご覧いただけます。御関心ありましたらどうぞ_)

又行くと_

↓「亀岡十勝詩碑」と刻まれた石が。

↓横にあった説明板によると_

↑写します。 「島津家二十五代島津重豪(シゲヒデ)は、隠館を構えた蓬山(ヨモギヤマ/ 江戸高輪の薩摩藩邸)の景勝を選び、亀岡十勝と称しました。この詩碑は文化元年(1804)に建てられましたが、表面には、紀州大納言、林大学頭(ダイガクノカミ)ら十名が十勝を詠んだ七言律詩が、裏面には桂川甫周による建碑の由来が刻まれています。
 この地は明治以前には豊前国森藩主の下屋敷でした。明治維新の後、参議寺島宗則(薩摩出身)の所有となり、明治十三年六月九日には明治天皇が行幸して観能されたので、聖蹟に指定されました。その後畠山一清が住居を構え、荏原 畠山美術館として現在に至っています。詩碑は明治維新以降ここに移されたと考えられています。」
(いやー このプレートが読めてよかった。実は亀岡十勝の碑があるという事は ここが「蓬山」だったのかナと思っていたのです。そうか高輪の薩摩藩邸からここに移されていたんですね? 寺島さんが薩摩出身というのと関係があったりする かな?)

右に谷を見ながら 又行きます。


(↑水は無いけれど あの青い小石の筋が 池に注ぐ水の流れを表しているのでしょうね?)

↓左に建屋が現れた。


↑ここが美術館入口。
↓この日掛かっていたのは「荏原 畠山美術館新館会館一周年記念 『数寄者』の現代 - 即翁(←畠山一清の号)と杉本博司、その伝統と創造」という企画展。

では入館しましょう。

↑館内では _本館2F展示室+新館地下第三展示室3 の二か所 いずれも畠山氏の蒐集品の展示室_は撮影不可でしたが、 それ以外の場所の展示物は撮影OKでした。/ でこの後ろに写っている「丸十文字蒔絵長持」は 「般若苑(←かつての畠山一清の私邸。後に料亭となった_) 旧蔵」というお品でした。
↓説明板。

↑「般若苑は、1937年に当地(旧寺島宗則邸)を購入した畠山一清が、奈良の般若寺の遺構を移して造営した私邸で、畠山の手を離れてから料亭となった。(現存せず)
寺島宗則(1832~1893)は、薩摩出身の政治家である。明治天皇が当地の寺島宗則邸を行幸されており、聖蹟に指定されている。(当館苑路に石碑あり)
丸に十文字は薩摩藩 島津氏が江戸時代に用いた家紋。この長持ちが般若苑にもたらされた時期は定かでないが、当地の記憶を示す史料として貴重である。
(興味深い。/ こうなると先に見た「亀岡十勝詩碑」もやはり 薩摩藩邸→寺島氏→畠山氏 のルートだったかも~ という気がしてきますね?)

↓沿革。

↓畠山即翁(一清)寿像。(木彫/平櫛田中(ヒラクシデンチュウ作)因みにモデルとなった畠山さんはこの時90歳だったそうです。)


本館二階へ。

ここは「数寄者の現代I 即翁 畠山一清の茶事風流」と題された展示室で 撮影不可だったので 絵 はありませんが_46点中7点が「重要文化財」、2点が「重要美術品」だったのでございました。(ただし前期のみの展示品が3点 内重要文化財2点、後期のみの展示品が3点 内重要文化財1点 重要美術品1点、ありました。/ ポスターやリーフレットの表紙になっている重要文化財「清滝権現像」は「後期のみ」の展示でした。私達は「前期」に行っているので この絵には出会えておりません・・・残念↓)



新館に移って~
「数寄者の現代II 杉本博司、その伝統と創造」を見ます。

杉本さんというと 小田原市民的には「江之浦測候所の方」(ざっくり)。/多彩なアーティストさんではあるけれど 申し訳なくも私これまでこの方を「数寄者」という目で見た事はありませんでした。 実際ご自身もこの展示会へ寄せた文に「私は数寄者でも茶人でもない。しかし今回はなりゆき上、数寄者を装い演じてみることにした。(中略)本格的に装うには号が必要だ、私も今年喜寿を迎えた。茶室での正座は無理だ、膝が持たない。そこで「諤々(ガクガク)斎」と名乗ることにした。」と書かれていて そっと微笑みました。
↓が、展示室には 素晴らしいコレクションの数々が並んでおり、「さすが」と思わされた事です。 しかも伝統的な美術品の陳列 ”ダケジャナイ” 新鮮味があって。



↑例えばこれは バックの掛け軸は 「春日若宮曼荼羅」という鎌倉時代の絵画で、合わせて置かれた「春日神鹿像(シンロクゾウ)」は室町時代の物。なんですが 須田さんという方に 蓮台+鞍 を作ってもらって、鹿の背に 杉本さんご自身の作の五輪の塔を載せ~、見る人に 「その昔神鹿常陸から大和へ神様(ここではその本地仏)を運んだ~」という 春日大社創建の伝承を思い起こさせてる装置にしているんですね?

一種「セットもの」とでもいいましょうか、別々に鑑賞し 総合的に鑑賞すると 「あら」という面白さが生まれる~。



↑これは杉本さん自身の筆になる不思議な古色を帯びる「東西蔵」の書(臨書 お手本になさったのは南宋の僧無準師範の書)の前に 法隆寺金堂伝来 という 金銅製蓮弁。


↓上、 中央は室町時代に描かれた鎌倉前期の僧-明恵(ミョウエ)上人(1173- 1232)像、その両脇に明恵上人本人の筆になる「仏眼仏母念誦次第(1202)」。/ 下、 鎌倉時代の春日逗子の中に 唐の時代の金銅舎利容器。

仏眼仏母念誦次第が書かれた1202年は 明恵上人が天竺へ渡ろうとして断念した年だそうです。/ 能『春日龍神』では、 上人が春日大社へ天竺へ渡るための「暇乞い」にお参りをした際 そこで出会った神職から 「こんにち遠い異国へ渡っても益はない」と諭され、 上人もそれを受け入れるのですが・・・

逗子の中の輝く舎利容器は なんだか上人の天竺への憧れを象徴しているように見えますね?


「わからない」 ものもありました。
↓中央に平安時代の「十一面観音立像」 両脇に鎌倉時代に描かれた「二十五菩薩来迎図」が掛けられています。 _普通来迎図とともにあるのは阿弥陀如来なんですが なぜに十一面観音菩薩 がお立ちなのでしょう・・・?(因みに、二十五菩薩の中には十一面観音菩薩はおられません、十一面観音は 観音菩薩の変化身の一つなので_)

で、この十一面観音を中心とした「セット」の両側には更に~
↓江戸時代の「稚児観音絵巻断片」と飛鳥時代の「方形三尊傳仏(橘寺出土)」、

↓同じく、江戸時代の「稚児観音絵巻断片」と飛鳥時代の「方形三尊傳仏(川原寺出土)」が置かれていたのです。

↓因みに、こっちが橘寺から出たもの、

↓こっちは川原寺から出たもの。

同じ型で作られた物、ですね?/ 明日香へおいでになった方はご存知だと思いますが、二つの寺は県道を挟んで向き合って建っています。川原寺が「男性僧侶の寺」、橘寺は「尼僧の寺」だったそうですが、こうして 同じ型から作ったプレートを持つ寺同士だったとわかると ちょっとハっとさせられますね? (+お寺の解説を読んで 川原寺と橘寺が「対寺(ツイジ)」だったと知りました。そうだったんだー。)
しかし、この 沢山の「セット」のまとまりを どう理解してよいのか~・・・。


_とこんなペースで綴っていては長くなるので 後は淡々と絵を貼って参ります。


↑一休宗純(1394 - 1481)の「梅花の偈(ゲ)」(1452/一休58歳)。(一休さんって 本当にいらっしゃったんだなあー)

↓利休文 「不干斎宛」


↑利休作 竹一重切花入 銘「江之浦」/ 入っているお花は_須田悦弘作 木彫り彩色の「椿蕾」。

↓利休書状「十二月二十四日 小袖礼状」

↑花入れは杉本博司作「春日油注形花入」、花は須田悦弘作木彫彩色「サザンカ」。

↓利休消息 「芝監物(ケンモツ=芝山宗綱)宛」

↑青竹と見える花入れは杉本さんの作。大正時代の銅製の雨樋を使った物で「古銅花入 銘-咲甫太夫」。花は須田悦弘作木彫彩色「朝顔」。
時に_手紙には 三月十六日という日付が入っていたのですが はてなぜ杉本さんは「朝顔」を合わせられたのだろう・・・?

どんどん いきましょう?/杉本さんが作られたお茶碗の数々。





(↑ガラスのお茶碗も作られるんだ、スゴイですね?/因みにこれには「泉」という銘がついていました。)

仕覆や箱。


↓「現代の茶掛け」のコーナー_。

↑赤い台紙をもつ軸は 書ではなく白髪一雄の「墨筆抽象画」、そしてその下には_↓

平安時代の古井戸から発掘された下駄!(能面か何かのように飾られていますが ひょうげた顔に見えますね^^;)

↓「歌切と絵」のコーナーを見ます。

上に掛かるのは鎌倉時代の「海浜図」、

↑下は 平安時代の「金銅 蔵王権懸懸仏」、その上に置かれているのは鎌倉時代の「銅製経筒」。(まったくもって不謹慎な鑑賞~ ですが、上に海辺の絵があるせいか 下のセットが、 色とりどりの魚の泳ぐ水槽の上に ムーミンパパが作った「水浴び小屋」(←冬の間は おしゃまさん の家になる)に見えるー)

↓茶道具のコーナー、


↑左は「黄瀬戸立鼓水指」、右は なんと「マヤの壺」!蓋をつけて「水指」にしているんですね?
↓全く違和感ありません^^;)


あー おもしろかったー。

この日は苑内の茶室でお茶会があり、

散策路には 案内を受けて移動している~と見える茶会の参加者がいらっしゃいました。(美術館館内が一種「待合」になっており、我々も 沢山の和装の皆さんと一緒に美術品を鑑賞しておりましたのです。)

こんな素晴らしい美術館でのお茶会ったら どんなお道具が拝見できるのでしょうね?(想像もできません^^;)

退出します。


この後は 東銀座に移り、お昼を食べてCREATIVE MUSEUM TOKYOで「HOKUSAI-ぜんぶ、北斎のしわざでした。展|EXHIBITIONS」を見たのですが それは又 頁を変えましてから_。