あま市の「甚目寺(ジモクジ)観音」に行きました | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
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(愛知県回、です^^)

愛知県は あま市(旧海部郡(アマグン))にある真言宗智山派の寺院 鳳凰山・甚目寺へお参りに行きました。
(↓名鉄津島線「甚目寺駅」から歩いております。)

昭和~な家並の向こうに 次第に見えてくる東門。


寛永11年(1634)に建立されたというこの東門は 国の「重要文化財」に指定されている_んだそうです。

「切妻造・銅板葺の四脚門(シキャクモン)」_だそうですが あれ?足6本ですよ?と思ってしまったアタクシ。(四脚門とは 四本の「控え柱」を持つ門の事。 真ん中の「本柱」は数えないんですってー。覚えましょう。)

↓門の横の寺号標の上に「尾張四大観音」と彫られています。

こちらは尾張四観音(オワリシカンノン)の一つで 「じもくじかんのん」という通称で有名、なのですって。// (補足と蛇足/ 尾張四観音は名古屋城の四方を囲む「鎮護の寺」。/ 名古屋で一番有名な観音様は大須ですが 大須は元々美濃の国にあったお寺で「清洲越し」の時に名古屋城の近くに移された寺、なので大須は尾張四観音には含まれません。)

↓この「由緒」が記されたパネルは 本当は本堂の南の南大門横にあったのですが、(お寺の紹介の都合上) ここに貼ります。

↓「甚目寺誌略」、部分を写します。
「甚目寺観音は、聖観音像が推古天皇5年(597)甚目龍麻呂(ハダメタツマロ)の手により「江上の庄」の入り江にて、漁網にかかりこの地に祀られて以来1400年もの間、天下泰平・万民富楽・五穀豊穣の祈願所として栄え、特に江戸時代には名古屋城主より寺領300石を受領し、
尾張四観音の筆頭寺院
としてその隆盛を天下に誇ってきました。
 現在は、境内も整備され、
三重塔・南大門・東門など 国の重要文化財
を抱え、愛知県内屈指の寺院として日々参詣者が絶えることがありません。」
(へー、甚目は昔は「はだめ」と読まれていたんですね?興味深いなー。)

↓門の先の手水舎は_


↑鳩の水飲み場になってました。(中には水浴びする輩まで。)
↓申し訳ないけど龍の口から滴る水を柄杓に汲ませてもらいましたよー。

(↑龍の後ろに見えるのは「釈迦堂」。)

その先に六角堂。


↑中にはお地蔵様が祀られていました。
↓その向こうに鐘撞堂。

↓瓦には卍の紋が。


↓釈迦堂。

↓屋根には火伏の「波」の意匠。



↓釈迦堂の東は「四国八十八ヶ所霊場」と名づけられた 石仏の並ぶ「ミニ霊場」になっていました。




↓釈迦堂の西には 丹塗りの柱や梁を持つ華やかな本堂。



↑手前に焼香用の鼎。
↓その奥に角塔婆。

↓切妻と唐破風が重なる正面。

瓦には蓮華、錺金具(カザリカナグ)には菊_。

菊の御紋は 推古天皇5年(597)創建の 朝廷の勅願所であるという由緒から~ とか。

ご挨拶しましょう。


↑梁の上の蟇股に山号由来でしょう 木彫の鳳凰がいました。
↓山号が記された扁額。(左から書かれてますねー)

お堂内、お参りさせて頂きましたが、内陣の前面には金糸で鳳凰を織り込んだ豪奢な布(柱巻き)が掛けられており、大変煌びやかでした。
(補足/ 山号「鳳凰山」は 天武天皇7年(679)に天皇から「鳳凰山」の額を賜ったことに由来する~ そうです。)

↓説明板+境内図。

↑説明板、写します。
本尊 聖観世音菩薩
三国伝来(←天竺から中国あるいは朝鮮を経て日本に伝わった、の意。 詳しくはお寺の公式HPの甚目寺誌略を⇒/寺伝によると本尊仏は百済からもたらされるも 敏達天皇の14年に(一説に物部守屋ら廃仏派により)海に捨てられた阿弥陀三尊のうちの一体) の聖観音を十一面観音の胎内仏として奉っています。堂内には子宝に恵まれる霊験のある「おさる様」(←日吉の神に関係がありそうですね?)を奉る。現在の本堂は平成四年十一月に再建されました。家内安全、厄除けのご利益があります。」
因みに、本尊物を胎内に宿すという十一面観音は「50年に一度 御開帳~」という秘仏。最近では2012年に公開されています。次に拝めるのはは2062年ですね・・・。(堂内を拝見しましたが内陣の厨子の戸は閉まり前立ちさんもおいでではありませんでした・・・)

そうそう、上でもリンクを張ったお寺の公式HP⇒ ですが、こちらによると お寺の始まりの場所はここから少し離れた所だった模様。↓

↑地図を見ると「現在の甚目寺の東南約200m.あたり」に 「観音池-甚目寺観音由来地」という場所が記されていました。/ そうか 昔はここまで海、だったんだ。(今は市の名前になっている 地名の「あま」も「海部(アマ)」って書きますしね。)


↓さて、本堂の南には国の重文にも指定されている「南大門」があるのです、が、

修理中、でした。。。

建久7年(1194)に 頼朝の命を受けた梶原景時が建立した」という南大門。今回ここへは ほぼこの門を見に来た、んだった。のですがー。(残念)

↓でも 耐震補強・屋根の全面葺き替え~は宝を次代に繋ぐためには必要な工事。修復なって再び公開されるのを待ちましょう。


(↑南側から。)
↓「甚目寺南大門 令和の代修復」の内容のお知らせと協力を求めるポスター。



南大門の北西に三重塔。

これも国の重文です。




寛永4年(1623)、名古屋の両替商 吉田半十郎政次が寄進したもの、と言います。

他のお坊・お堂も見て参りましょう。
↓法花院(ホッケイン)。/本尊-聖観音菩薩。



↓秋葉堂。/本尊-秋葉三尺坊大権現。


↓弘法堂。/本尊-弘法大師。


↓明王堂。/本尊-烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ)。


↓露座の 馬頭観音。

↓「平和の塔」というタイトルのオブジェとしての観音像。


(↑「尾張四観音筆頭格~」と言いながら 秘仏である本堂の本尊仏には前立さんもいらっしゃらないので 正直「やっと観音様に会えた」ような気持ちになりましたよー。)


お寺の西には 元々は「寺の鎮守社」だったという漆部(ヌリベ)神社がありました。(明治の「神仏分離令で境内を分けた、のだそうです。)
そちらへもお参りしておりますが、長くなりましたので 次の頁に綴って参ります_。



<おまけ>
↓付近の道で見かけたマンホールの蓋。甚目寺の南大門が描かれていました。

↓側溝の格子蓋(グレーチング)にはー

↑木の絵と「JIMOKUJI」の文字。/ なぜ木のデザインが選ばれたのかしらー? 地味に気になりました^^;)