清洲城(キヨスジョウ)の石垣 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき)
五条川右岸の石垣_の名残?のようなものに近寄ってみました。

基礎部分に木材が使われています。工法を知らせるための模型 でしょうか?



↓そばにあった説明板。



↑写します。
「清洲城の石垣
 清洲城は、応永年間(1400年頃)に、尾張守護職であった斯波義重(シバヨシシゲ)により守護所下津城(オリヅジョウ/ 現稲沢市)の別郭(ベックルワ)として築城されたといわれている。その後、文明8年(1476)守護所が清洲に移されると、津島などとともに尾張有数の都市として繁栄した。
 その後、織田信長、織田信雄と城主をかえ、徳川家康の命により慶長15年(1610)「清洲越(キヨスゴシ)」が始まり、城下の住民や石垣、建物等の大部分が名古屋城へ移され清洲城は廃城となる。
 復元された本石垣は、平成8年(1996)に河川事業に伴い実施された遺跡調査により、清洲公園前の五条川右岸(現在は下流200mに銘板で表示)で発見されたもので、清洲越直前の本丸南側の石垣と考えられる。
 石垣の基礎は、軟弱な地盤に耐えられるように松材を用いた「梯子洞木(ハシゴドウギ)」と呼ばれる構造になっており、石材はこの基礎の上に「野面積み(ノヅラヅミ)」と呼ばれる戦国時代にかけて用いられた技法により積まれている。
  平成13年(2001)3月
  愛知県教育委員会
  清洲町
  愛知県河川工事事務所 」

そうかこれは 移されて「復原」された物だったんだー。

↑パネルの下部に記されていた「石垣発見地」。MAPは右が北。(点線はJRの在来線+新幹線の線路を表しており 今私達が渡ってきた「大手橋」は描き込まれていません。多分 パネルが設置された時には まだ大手橋は架けられていなかったのでしょうね?)
↓「石垣の構造」

へー、水に沈む基礎部分に木材が使われている って知りませんでしたー。/がそういえばベネチアなども水面下の基礎は木の杭だそうですね?水に漬かりっぱなしの木材は腐らない って事?

_勉強になりました。

川側に顔出しパネルがありました。

↑信長と濃姫だそうです。

この後は再び「大手橋」を渡って「丸ノ内」駅から電車に乗って名古屋へ移動しましたー。


 - - - - -


<おまけ>
↓大手橋から見たJRの鉄橋。

丁度鉄橋を渡る電車が来ました。

↑特急「ひだ」だったもよう。
↓大手橋を左岸へ渡り、川沿いの道を進むとー

↑鉄橋下を潜る事になりました。
↓鉄橋の基礎部分にー

↓一部ですが、煉瓦が見えます。古い物、かな?

↓川の中に鉄橋を支える橋脚(在来線4線分)が三つありましたが、真ん中の物は「石積み」でした。(ちょっとイイ物見ちゃった気分^^)

↓振り返って見た 大手橋。


 -シーン抜け-

五条橋のたもとから 県道127号線を「清洲東小学校北」交差点の方へ下っています。

あれ?新幹線だ。

(さっき新幹線の高架下も潜ったところだったので 自分がどっちを向いてるのか混乱しました^^;)

 - シーン抜け-

名鉄「丸ノ内」駅まで来ました。(絵はストリートビューより)


(↑上り線側駅舎)

さて、「丸ノ内」という駅名は、このあたりの地名「清洲丸之内」(←清須城「城内」を意味する) からつけられたそう。 

↑駅の近くでは かつてのお城の堀跡も見つかっているんですね? 

↓しかし丸ノ内駅(というか清須城外堀)って清須城跡から こーんなに 離れてるんですよ?

「どんだけ大きかったの清須城?」でございますね?

 -シーン抜け-

名古屋へ向かうため 丸ノ内駅から上りの電車に乗った私達ですが 、一つ先の「須ケ口(スカグチ)」駅で「乗り換え」をしました。(乗った電車が「須ケ口」止まり、だったんですね。)


↑時に皆様、この駅名 一発で正しく「すかぐち」と読めました? / (実は私最初「スケロ?」と読んでしまい、亭主から 「はぁああ?」とあきれられてしまいました・・・。いや 名古屋っ子は 字を知るより先に「すかぐち」という音を知るでしょうから この漢字を初めて見た時多分「ああ、すかぐちは漢字ではこう書くのだな」とスグ合点できるのでしょうよ。でも ヨソモノには結構これ 難易度高め だと思いますわぁ。)

ともあれ そんなや こんな

あれやれ これやら なにがなんだか?

(↑駅の先にあった「検車場」。複雑にうねるレールが面白いですよね_)
もとへ。
この日は 訪ねるべき場所があちこちで 忙しくもあったのですが、おかげ様で無事になすべき事をし終える事ができましたし 最後にこうして珍しい場所も見学でき(いや 正確には お城には入れませんでしたが_それでも) 清須の歴史を知り 町の大きさを自分の足で感じる事ができました。

で更にこの後、名古屋でおいしい鰻を食べた、のでございます。/ つづく