清須(清洲)城址 (天守閣を見ただけナンデスが^^;) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(これも 先月、愛知に行った時の事です。/ 昨日UPした 名古屋めしの話とは 又別の日の事、


用事を終え_少し時間があったので~
清須(清洲)城址を訪ねてみました。

いきなりですが、
まず 清(キヨス) と 清(キヨス) の話から_。
戦国時代は清と書いていましたが 江戸時代以降、清の字が使われるようになった~そうです。
ところが、平成17年(2005)に  西枇杷島町(ニシビワジマチョウ)・清町(キヨスチョウ)・新川町(シンカワチョウ) の三つの町が一つの市になる~ という事になり、新しい市の名称として「古くからの~」清 が選ばれたのだそうです。(へー・・・)
そういう訳で これから綴る文の中にも 清須と清洲が混在する事になりますが 御承知おき下さい。(他に 那古野(ナゴヤ/戦国時代まで) と 名古屋(ナゴヤ/江戸時代以降) なども出てきますが 同様にヨロシクです。)

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清須城。恥ずかしながら私は「清須会議(天正10年/1582)」でしか名前を知らなかったのですが_、
築城年が1405年(1375年説も)と言われるこの城は 元々は尾張守護所-下津城(オリヅジョウ←清洲より5km程川上の 現-稲沢市下津(オリヅ)高戸町(タカドチョウ)にあった城) の別郭(ベックルワ)だったと言います。が、1476年 下津城が(織田家の内輪もめで)焼失。 以降は清須城が守護所となり、清須は尾張の中心地になっていった~そうです。

 -読み飛ばして下さい-
信長の父-信秀もここに清須奉行として住んでいましたが 今川氏を討って那古野城を奪うと 拠点を那古野に移します。が、
その息子-信長は 1555年から約10年間、再び清須を居館としています。
その後信長は 小牧城を建て(1563年)、清須は番城(←留守居の将が守る城) となるのですが_
 (中略)


本能寺の変の後 織田家の跡目を決定する「清須会議」がここで開かれた後、 信長の次男-信雄(ノブカツ)が清須城主となった~ んですね。
その後も城主は変わっていきますがー ともあれ 

家康が かつての那古野城址に 新しい名古屋城を建てるまで  ここは尾張の国の中心だったのだそうです。(この慶長17年(1612)から元和2年(1616)、四年もの歳月をかけて行った 清洲から名古屋への 軍事・行政を含む統治機能の移転を「清洲越し」と呼ぶそうな。←愛知では常識らしい・・・ 無知をお許し下さい


~ とここまでを頭に入れて_
県道67号線側から「清洲城公園」へ。
(名鉄「須ケ口(スカグチ)」駅から歩いてきました...)

(因みに我々、この散策を 名鉄「須ケ口(スカグチ)」駅から始めております_)

↑ん~ すぐソコに見えながら なかなか近づけないお城ー。
↓やっとたどり着けました。

へー これが清須城。_平成元年(1989)に「清洲町-町制100周年記念」として建てられたという 模擬天守 。/ 元々の清須城には「天守閣」はありませんでしたが、1586年の「清須会議」後、新たに城主となった信雄(ノブカツ)によって城は大改修されており、その際に大天守が造られた そうです。/で この模擬天守は 信雄の時代の~ という事で作られているみたい。 )

(余談ながら、「清洲越し」で清須城の主要な木材や石材等々が名古屋に移されていますが、天守が移築されたのでは?と言われているのが 名古屋城西北の「隅櫓(スミヤグラ)」、別名「清洲櫓(キヨスヤグラ)」です。/が現清須城(模擬天守)と清洲櫓、外観はあんまり似てないんですよねー^^;)))
↓参考までに_名古屋城の西北隅櫓(清洲櫓)。


因みにここの地番は_「清須市、朝日、城屋敷1番地1」というそうです。(朝日、は 「中世期にこの地域にあった皇室領の荘園”朝日荘”の名称に由来」とか。) 城屋敷の地名は かつてここに 清須城の「主要な屋敷」があったことからきているそうですが、その屋敷は 天守閣 ではない、そうです。
天守閣があったのは、すぐ西を流れる五条川の対岸_現在「清洲公園」内の JR東海道線+新幹線が通っている辺り、との事ー・・・。(↓あらー そういう事だと 元の場所には復元不可能ですねー)

さて、お城の中には400円で入れ、ジオラマやムービーを見たり 天守からの展望を楽しんだりできる~ そうでしたが 残念、

↑この門を潜って↓庭に入ったところで_


↑「閉門時間です。/ ありがとうございました。」という管理人さんの声がー・・・。
↓なんとか この写真だけ 敷地内で撮らせてもらってー


↓西_川側の門から外へでました。



↑「信長塀」の説明板。(熱田神宮に今も残る「信長塀」をモデルに設置したもの、との事。)

↓門が閉まりますー。



今回は、 ここまで_。


<おまけ>
五条川に架かる橋を渡ります。

↑この橋は「大手橋」。
↓橋から振り返って見たお城。


↑五条川右岸から。

↓さて、橋を渡った先に 石垣が見えました。遺構、でしょうか?



行ってみましょう。

 (長くなったので 続は「次の頁」に)