別當-達谷(タッコク)西光寺(セイコウジ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

続いては 毘沙門堂その多を管理なさっている別當-達谷西光寺さんの方へ。


坂を上って行くとー
↓左手に鐘楼が見えてきました。

↑「鐘楼
窟毘沙門堂、鹿島社(←今境内図には見えないのですが)と共に慶長二十年(1615)の建立と伝える。
江戸時代には伊達藩が毘沙門堂と共に屋根の葺き替えを行なっていた事が記録に残る。(後略)」

↑横から。↓裏から。

↓先代の鐘は昭和19年に戦時供出で失われ、現在の物は昭和58年の新鋳とか。

↑新しい鐘は「龍虎鐘」という銘を持つようでした。
↓床に穴。音響のためでしょうか?


↓こちらは鐘楼の隣の「姫待(ヒメマチ)不動堂」。


↓説明板。

↑「悪路王(←平安時代に田村麻呂に滅ぼされた蝦夷(エミシ)の頭目)らは京から攫(サラ)って来た姫君を窟(イワヤ)上流の「籠姫(カゴヒメ)」に閉ぢ込め、「櫻野」で暫々花見を楽しんだ。逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は「姫待瀧(ヒメマチノタキ)
」と呼び、再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を切って、見せしめに掛けた石を「髢石(カツライシ)」といった。
 姫待不動尊は智証大師が達谷西光寺の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを、藤原基衡公が再建した。
しかし、年月を経て堂宇の腐朽が著しい為、寛政元年(1789年)に当地に移された。御本尊は桂材の一木彫(イチボクヅクリ)で、全国でも希なる丈六の大像である。製作年代は平安後期で、岩手県有形文化財に指定されている。令和七年に堂宇と共に御修復なり、荘厳を新たにした。
 酉年の守本尊として名高く、また宮城県栗原登米本吉(クリハラ市+トメ市+モトヨシ郡)の信者が生涯一度の大願を掛けに参拝する習(ナラワシ)が現在も続いている(←なぜこの地域にその風習があるのか知りたいものだなあー)
当地では「火之神様」「眼之神様」と呼ばれ、火難消除と眼病平癒の御不動様として、信仰されている。」

↓お堂の側の木の根方にこんな童子像がありました。

不動堂の近くに立つのだからお不動さんの眷属、よね?穏やかな顔立ちをしているから矜羯羅(コンガラ)童子かな?と思うも_

↑髑髏宝杖を持っています。いやーこんな杖を持つ矜羯羅童子は見た事が無いんですがー・・・。/一体この子はどちらの眷属さんだろう?

更に行くと_


↓金堂前に出ました。

説明板によると_江戸時代に建てられた先代のお堂は明治の廃仏毀釈で一度破棄されたと言います。今のお堂は昭和62年に再建に着手、平成8年に完成したもの、ですって。
↓扁額の文字は「廣■密蔵院?」/ こちらの院号が「廣照院」だそうだから二文字目は「照」の異体字かもしれませんね?

↓堂内の額には「瑠璃殿(←薬師如来のお堂の意味)」と書かれていました。

御本尊は「真鏡山(←毘沙門堂上の山)上の御神木の松で刻まれた松薬師」だそう。

金堂前にはこんな木がありました。


↑「樹齢500年 / 大オッコウ(イチイ) / 於ハクサン社頭献木也 別當」(イチイは成長が遅い木だそうです。樹齢500年でもこのサイズなんですね?
↓その裏手。

↓森との境界あたりに並んでいた小さな石の祠。/それぞれに神様がおいでなのでしょうね?


金堂の南側。

↓門の柱に「窟(イワヤ)別當 達谷西光寺本坊」と書かれた板が掛かっていました。

(↑境内図を見ると 奥の茅葺屋根が「別當」となっています。(てっきり「庫裏」かと思いましたが。) 又、「金堂」と「別當」の間に「本堂」という小さな建屋が描かれています。拝観コースからは外れているので「別當」のお堂なのかもしれませんね?)

↓「出口」の方へ下りていくとー

↓「二の鳥居」脇に出ました。

_これで一回りしたわけですが_
まだ見ていない所があります。
表の通りからも見えていた「御供所(ゴクショ)」です。(因みに御供所とは神仏へのお供えを用意する場所、だそうです。)
↓行ってみましょう。

↓民家のような佇まい。


↓中を覗けるようになっていました。


↓土間の奥、北側におくどさんが並んでいます。


↑あ、水瓶も置かれていますね。
↓土間の横の囲炉裏。(土間側に開いているのは 火や灰の始末がしやすいように、でしょうか?)


↓あ、このお札は毘沙門堂で頂ける「牛玉宝印(ゴオウホウイン)」!

(↑参道の「三の鳥居」の扁額の文字はこれ(の右側の文字列)、だったんですね?/やっぱり読めないんだけど 雰囲気はなんとなく熊野の「カラス文字」っぽいですね、面白い。)
↓隣は 簡素な 板張りの部屋でした。/額の字は「毘沙門天」。


あー見学できてよかったわー。

御供所を東へ抜けると_

↓石畳の道がありました。

一段固まった所に建つのが「別當」の建屋ですね。

境内図には石段と石段の間に「薬医門(ヤクイモン)」が描かれているのですがー 撤去された、のかな?
↓でもこれはこれでスッキリと美しい。



宗教施設だけでなく その周辺も見られて、良かったなあー。

_おしまい。