岩原城跡 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき)

↓今しがた訪ねた岩原八幡神社と これから訪ねる岩原城跡(←大森氏頼の隠居後の居館と伝わる) の位置関係は こんな感じ。(後で知りましたが、大森氏によって城が築かれた時は八幡神社も城郭の一部に取り込まれていた (ただし空堀の外) そうです。/ 位置関係からみるに 八幡様には居館の鬼門封じをお願いしていたのでしょうね?)


行ってみましょう。

てくてく

消防署(岡本出張所)が見えてきた。

(↑丁度救急車が出動していきました。)

消防署の手前には ちょっとした広さの原っぱがあります。

眺めよさそうー。

何か建っていたのかな? 畑の跡? (因みにここも「岩原城」の一部、だった場所です。)
話それますが、ここには沢山ナヨクサフジ(弱草藤←花の名はAIに教えてもらいました)が咲いていました。


雑草ではありますが、紫のグラデーションが綺麗ですよねー。

消防署前を過ぎてー


もうチョイ行くと_

↓案内板が現れました。


し・・・ しかし・・・
↓えー? どこを歩けばいいの?

ここ?..._この 細いあぜ道のような小径?

ともあれ 他に歩けそうな所がなかったので この小径を進んだところー

↓こんな 小薮 に出ました。

(この小曲輪みたいな所も歩いて良かったのかな?)


(↑立ち入り禁止の私有地と 見学できる「遺構」の境界線が よくわからない・・・)

ともあれ「看板」のある所まで行きました。


↓看板。

↑あらっ、現在地は・・・
てっきり本丸跡かと思ったら 「西物見郭(クルワ)」の端っこだ。(東隣の一画が「本城郭」との事で_)
_ともあれ 説明板を読んでみましょう。

岩原城跡
 室町時代、箱根外輪山明神岳から東方に延び、足柄平野を望む標高60mの丘陵の南斜面に大森氏によって築城されました。
 東西約250m、南北約100mの範囲に、本城郭・ニノ郭・三ノ郭・西郭などの複数の郭(平場)を区画するように空堀が彫られ、上流約2kmの矢佐芝川からの取水堰(沢水)を城内に引き込んだ平山城であったと想定されます。
  南足柄市教育委員会 」
↑あっさりした説明板ですが、、、 詳しい事が不明 という事もあってでしょう_。

 という訳で 不正確な伝承も含む事をお断りした上で補足的に打ちますと、
大森氏は大森頼春の代に 第四代鎌倉公方-足利持氏から  この一体を与えられ(←この話は複雑なので割愛)、小田原城(←今ある小田原城とは別) を建てています。この岩原城は頼春の息子氏頼が 家督をその又息子の実頼に譲って移った 隠居場ですが、 1495年頃 小田原城が北条早雲(宗瑞/当時は出家前なので伊勢盛時)に攻められた折には ここ岩田城が大森方(守ったのは実頼の弟-藤頼) の最後の砦となった~ と地元では伝えられています。

↓説明板の向こうに石碑・石造物が並んでいました。


↑右の石には「南無阿弥陀佛」、左の石には「大森・・・(不明)」。


↑左のは僧形道祖神かなあ?
↓こっちは「馬頭観音」だ。

↓これらは供養塔のようですね?


↑柱の文字は「市指定文化財 岩原城址」。

ここに並ぶ石造物の中には大森氏に関係ないも紛れていたりする??? _ かもしれませんが、もしかして これらの石のお蔭でこの一角が開発から まぬかれた のなら、 「ありがとう」です。


<よだん>
ここにもいました!


↑あいつ、です。ヨコヅナサシガメ!
先日 珍しいっ と思ってUPしたのに ⇒ ・・・ どこにでもいる虫だったのね^^;)

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さて、今回は 北条氏がこの一帯を統べる前の 領主-大森氏の城址を見た訳ですが_
小田原には 更にその前の時代の領主の城と考えられている 「沼田城址」があります。/ 近くそっちへも行ってみたく思います。