医王山(イオウザン)毛越寺(モウツウジ) | おだわらぐらし

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関山中尊寺(奥州藤原氏初代-清衡(キヨヒラ)が建立)に続いては、 その少し南の医王山 毛越寺(二代目-基衡(モトヒラ)が建立)へ行ってみました。


↓山門。


拝観券を求め 境内へ。

手を清めましょう。

本堂へ向かいます。

↓提灯に「天台宗別格本山」の文字。紋は天台宗の宗紋「三諦章」。

↑ご挨拶。/本尊は(山号にもみえる)薬師如来(坐像)。両の脇に「日光」「月光」両菩薩(立像)を従えておいででした。

(南面して建つ今の本堂は平成元年(1989)に平安時代の建築様式に則って再建されたもの。/以前来た時はまだありませんでした。)

では 平安時代の遺構の方へ。

↑奥州藤原時代の伽藍 の想像図。(補足/毛越寺が開かれたのは 中尊寺と同時期の嘉祥3年(850)(尚、当時の寺号は嘉祥寺)、開山者も中尊寺と同じ円仁ですが、その後その寺は焼失。藤原基衡とその子秀衡の時代に復興され、最盛期には中尊寺をもしのぐ規模だったそうです。)

↑広い道の右手のお寺は観自在王院。こちらも(建屋は失われていますが)今も遺構がほぼそのままに保存されています。
(現在の本堂は池の南に 東を向いて建っていますが、元々の伽藍は池の北に 南向きに並んでいた、んですねー。)
↓現在の航空写真。

(↑毛越寺は鎌倉時代に焼失して以来長く放置され 江戸時代は水田になっていたと言います。/が戦後になって発掘調査され 昔の浄土式庭園や伽藍の礎石が発見され~(中略)2011年に「平泉の文化遺産」の構成資産の一部として (中尊寺 観自在王院跡 無量光院跡 金鶏山一緒に)世界遺産に登録されたんですね?

大泉が池 の縁に沿って歩きます。


↑「竜頭鷁首(リュウトウゲキシュ)」、二艘一対の舟が浮かんでいます。雅人や舞人が乗り込み 往時を偲ぶ 雅で華やかなイベントが行われたりするのかな?
↓大路側。

↑「出島石組と池中立石」。

↓「順路」に従い、西へ。


「築山」

↑当時どんなテイストの庭だったのかはわかりませんが、厳しく荒々しい表情の一画は 今の庭において素晴らしいアクセントになっていますよね?

↓アヤメ園横を歩きます。


↓アヤメ園前から見た 西側の大泉が池。

↑↓玉石が敷き詰められた岸や島が 明日香の昔から続く「日本の庭」~な感じですね?



↓左手に 池の方を向いて建つ「開山堂」。開山者-慈覚大師円仁が祀られているそうです。


周辺にはカエデの木が植えられていました。


紅葉の頃はサゾヤ。でもこのピンクのプロペラ(翼果)を抱く青葉の頃も これはこれ、で。

その先の嘉祥寺(カショウジ)跡。


↑説明板。
「『吾妻鏡』によると二代基衡公が工を始め三代秀衡公が完成させた御堂で、その前身は慈覚大師開山までさかのぼり、寺名は開山時(嘉祥3年(850))の年号に由来する。(ただし『吾妻鏡』にも嘉勝寺と載ります。) 本尊は丈六の薬師如来。建物の規模は、正面7間約27.9m、側面6間約22.5mで 左右に廊があり、金堂円隆寺(エンリュウジ)とほぼ同じである。堂内の壁や扉には法華経の教えが画かれていたという。」


↑何も残っていない、といえば 残っていない。でも 礎石だけでなく お堂が「一段高められた所」に建てられていた事が 今もわかる。んです。 これってすごい事ですよね。
↓隣の「講堂跡」、「金堂円隆寺跡」も、盛土(土壇)がはっきりとわかりました。(よく田畑になってしまわなかったものです)


↓講堂跡。

↑「本尊は胎金両部大日如来。仏法を説き仏法を聴く堂舎であった。また、灌頂(カンヂョウ)という密教儀式を行う奥羽の灌室であったという。正面5間19.1m、側面4間15.1mの建物で礎石34個が完存する。嘉禄の火災後再建、天正元年(1573)の戦による火災で焼亡。」
↓金堂円隆寺跡。

↑「基衡公建立の勅願寺。鎌倉幕府の公文書である『吾妻鏡』の中では「吾朝無双」と称えられるほど万宝をつくしてつくられた建物であった。本尊は雲慶(←運慶と同一、という説もあるようです) 作の丈六の薬師如来。毛越寺の中心的な堂で、東西に廊がでて南に折れ、その先端には鐘楼、経楼があった。嘉禄二年(1226)火災で焼失した。」

↓東に茅葺のお堂が見えてきました。


_と、その手前に小川(?)が現れた。



↑説明板。
「遣水(ヤリミズ)
 この遣水は、庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては冷が無く、平安時代の遺構としては唯一のものである。遣水は池に水を取り入れる水路であり、玉石を底に敷きつめ、流れには水越し、水切りの石、その他水の曲がり角や池への注ぎ口に石組を配するなど平安時代の指導書『作庭記』の様式を余すところなく伝えている。その美しい流れとせせらぎは浄土庭園に風雅な趣を添えており、「曲水(ゴクスイ)の宴」の舞台ともなる。」
↓訪ねた日は丁度水路の清掃の日だったようで、玉石の間に生えた草を取るお姉さん達の姿を観る事ができました。


ありがとうございます。
↓川下側。



茅葺のお堂は_

「常行堂」でした。



↑説明板を写します。
「本尊は宝冠阿弥陀如来。奥殿には秘仏摩多羅神(マタラジン/ ←阿弥陀経の守護神)をまつる。毎年正月二十日に越し記常行三昧の修法が行われ、国指定の需要無形民俗文化財である「延年(エンネン)の舞」が奉納される。現在の常行堂は、享保十七年(1732)に再建されたものである。」

お堂の西側に「遣水」「曲水の宴」についての説明板がありました。

↓「遣水」については 先に見た物と同じでしたが、「曲水の宴」の説明板には雅な衣装を身に着けて歌を詠む皆さんの華やかな写真も載っていましたよ?(昭和61年(1986)に開催された「秀衡公八百年御遠忌特別大祭」の記念行事として行われた曲水の宴の様子、とか。)

↓さっきとは逆の岸からの眺め。



常行堂の南東に素朴な鐘撞堂がありました。


↑「現在の鐘は昭和五十年(1975)、人間国宝香取正彦氏の作で、天台座主(ザス)山田恵諦大僧正の銘が刻まれています。姿形は、平等院風を思わせ、美しい音色を響かせています。」/ 「奉納料500円」

(どんな音がしたのでしょう_)

その少し東に、かつての「常行堂」と「法華堂」の跡地、がありました。


_池の端に出ると、向こう岸に本堂が見えました。




↓東側に目をやると、大路の向こうに かつて隣接して建っていた「観自在王院」の庭が見えました。



広々と開け 気持ちの良い空間ですねー。(是非このまま保存されますように。)

再び毛越寺境内に目を移します。


_これで一回りした事に。


素晴らしい場所でした。

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この後は 近くに建つ「平泉文化遺産センター」に寄りました。


↑「世界遺産」を中心に 平泉に残る文化についての紹介がコンパクトになされていて 「学習」のために訪ねるには良いところ、でした。(館内は撮影不可だったので 載せられる絵はこれくらい、ですが)


続いては、「達谷窟(タッコクノイワヤ)毘沙門堂(ビシャモンドウ)」へ行っております_。