
とても全ては回り切れませんが、ともかく 本堂までは見なくては。
とりあえず 有料区間(金色堂周辺)を出た辺り~ からの絵を貼って参ります。
まずは塔頭「西谷坊(ニシタニボウ)」(別名「大長寿院」「二階大堂」)から。(_こちらなぜか配布されていた境内MAPには載っていないのですが...『吾妻鏡』にも名の見える有名所なのでUPしますー)

↓本尊は「胎蔵界大日如来」だそう。

↓脱線しますが_

(↑門の柱には「大長寿院」の文字。)
↓門の裏の支えの上に 小さな石積みが沢山載っていて 笑ってしまいました。(この石積みは功徳にカウントしてもらえるでしょうかね? イタズラにカウントされたら大変~^^;?)

門の先にお堂。

両脇に立てられた旗には「南無元三大師(ナム ガンザンダイシ)」の文字が染め抜かれていました。

こちらと元三大師(良源 慈恵大師)の関係は_
明治19年(1886)に比叡山の四季講堂から元三大師(慈恵大師)の画像が授与されこの地で「慈恵大師一万人講」が起こった~ 事にあるようですね。(大長寿院からは「角大師(ツノダイシ)」のお札が授与されたといいます。)

さて_ 『吾妻鏡』には その昔ここに建っていたかつての大長寿院(高さが約15mもあり屋根が二層になっていたため「二階大堂」の名で知られた)_の本尊は約9mの阿弥陀仏 更に脇に約4.8mの阿弥陀象が9体並んでいた_「二階大堂 大長寿院と号す。高五丈。本尊三丈金色弥陀像。脇士九体同丈六也。」と載ります。この地でその(当時の)二階大堂を見た頼朝は これを模して鎌倉に永福寺(ヨウフクジ←現存せず)を建て、自分が滅ぼした奥州藤原氏と弟義経の霊を弔っています。/ 尚、現在のお堂は文久三年(1863)に再建された建屋、だそうです。
左手には西谷坊の庫裏と思われる 茅葺の建屋が見えました。 風情があっていいですね?

引き返します。

続いては白山神社の方へ。


白山神社は 中尊寺を開いた慈覚大師円仁が、寺の「北の鎮守社」として、開山時にここに勧請した~と伝わる神社。
↓あ、この建屋は神社ではなく、能舞台。(尚配布されていたMAPには 神社の表記はなく「能舞台」のみが載ります。)




↑かつてはこの舞台では僧侶が舞いを舞って神前に「奉納」した といいます。(そんな時代もあったんだー。へー。)/ 尚今に残るこの建屋は嘉永六年(1853)に伊達藩によって再建されたもので、国の重文になっています。
↓こちらが神社。





↑手を清め 茅の輪を潜って お参り。(こちらもだんだん「神」と「仏」を分ける気持ちが薄れて参ります・・・)
引き返して_

↓赤い鳥居を潜って神社境内の外へ出たところ。

(来しなは釈迦堂の裏手を通ったので、こちら面は歩いていなかったんですねー。)
続いて釈迦堂へ。


1719年に再建されたというお堂の中には 釈迦三尊が祀られています。
釈迦堂の前には弁財天堂。



三方を水に囲まれたお堂。弁天様のお住まいに相応しい~ と思いながら正面に回ったら「千手観世音菩薩」の旗...。

えー? でも柱には「辨財天堂」の板が掛かり、扁額の文字も「辨才天」。

正面の華やかな厨子の中にいらっしゃったのは唐子を従える八臂の弁天さん。。。(←仙台藩4代藩主-仙台藩主伊達綱村の正室-仙姫が寄進したものとか)
_はてー?
と思ったら、堂内の隅に 千手観音も祀られていました。/ 横に「藤原基衡(←奥州藤原氏二代目)将軍御持佛」という札が置かれていました。由緒ある仏像なんですね?
その隣は阿弥陀堂。

(柱の板の字は「彌陁堂」)

本尊-阿弥陀如来の他 蔵王権現が合祀されているそうです。
↓一段高いところに鐘撞堂。

茅葺屋根の簡素な建屋。イイカンジ。

↑説明板によると「康永二年(1343)に金色堂別當頼栄の発願により鋳造された”盤渉調”の梵鐘」とか。盤渉調って何だろう?とググったら これは音の高さで 西洋音楽のシ(英語だとB ドイツ語だとH)に相当する~ とわかりました。「現在この金が撞かれることはない。」そうですが、音 聞いてみたいなあー・・・。
その先_ 「大日堂」。

本尊は本尊は「金剛界大日如来」。
こちらは「峯薬師堂」。



↑かつて本尊としてこのお堂に祀られていた薬師象は 先ほど「讃衡蔵」で鑑賞してきたところ~。/ 今は現代の仏師さんの刻んだ三尊像が置かれていました。
↓説明板。

↑「もと経塚山(金色堂の南方)の下にあったが、天正年間(1573~1591)に荒廃、のち元禄二年(1689)現在の地に再建す。
堂の面積は32.5坪、型式は桁行三間、梁行三間の瓦葺の単層宝形造りで、御本尊は丈六(約2.7米/ 補足-「丈六」は立った時に一丈六尺-4.8m~の意味。お像は坐像なのでその約半分の高さ、なのです。)の薬師如来の座像でカツラ材の寄せ木造り、金色に漆を塗り金箔をおいたもので、藤原末期の作で現在重要文化財として讃衡蔵に安置されている。
現在の御堂は昭和五十七年の改築で、御本尊も薬師如来を中心に日光菩薩、月光菩薩の三尊とし、堂の改築を契機に昭和六十三年、前立本尊として物資松尾秀麿師の謹刻になるものである。
薬師如来は大医王仏とも言われ正式には薬師瑠璃光世界の教主である。
除病安楽。息災離苦等を消滅させてくれる絶大な功徳をもっている御仏として古くから信仰されている。 別当
願成就院 」
↓その向かいに不動堂。

仙台藩第三代藩主-伊達綱村が新調させた不動明王像が祀られているそうです。
そこから少し坂を下ったところに 本堂が建っていました。

(↑元は 一関藩藩主-伊達兵部(←伊達騒動の中心人物の一人)の屋敷の門だった~ といいます。)
↓表門の柱には「中尊寺」「陸奥教区宗務所」と書かれた板。



↑門を潜ると 正面に立派なアカマツが現れました。
↓丁度「花の頃」でした。(写真は雄花。)

↓手を清めてお堂に向かいましょう。


(↑手水鉢から溢れた水を飲む猫~↓人気者だった。)

↓明治42年(1909)に再建されたというお堂。



↑梁の上の 写実的な「菊水」の意匠が優美です。
↓入口前。

↓濡れ縁部分。

(清々とした雰囲気ですね?)
↓内部。


(↑脇の間には お寺の歴史や 建築・仏像・仏具について書かれたパネルが並んでいました。)
↓本堂についての説明書き。

↑「本堂
明治四十二年(1909)の再建。中尊寺の山内十七ヶ院を包括する中心道場。
奥州藤原氏の追善、天台宗各祖師の御影供(ミエク)、正月修正会(シュショウエ)など、一山の法要はほとんどがここで厳修(ゴンシュ)される。「中尊寺建立供養願文(ガンモン)」に記され、歴史の中で失われた丈六(ジョウロク)の釈迦如来(←坐像/2.7m)を、平成二十五年(2013)、再び本尊として造顕した。壇の両脇には、総本山比叡山延暦寺より分灯された「不滅の法灯」が護持されている。」
中央の間で御本尊様に挨拶をさせて頂いて~、
退出いたしました。
この後は奥州藤原氏 第二代-基衡(モトヒラ)が建立した 毛越寺(モウツウジ)へ向かいました。