奥沢の九品仏(九品山唯在念佛院浄真寺-浄土宗)青紅葉の頃 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

「(亭主の)いつもの仲間」と_
今回は九品仏(クホンブツ)へお参りしました。

東急の「九品仏」駅 で待ち合わせをして~

おしゃべりしてたら「写真」を撮る~ とか頭から抜けてたんですが、
新しくできた閻魔堂っていうのが 結構なかなか_ と聞き その辺からカメラを用意。(本当は駅からお寺までの参道もイイカンジだったのにー。)
_という訳で ちょっとストリートビューから絵を貰って貼ります。

↑線路と線路の間に建つ九品仏駅。(遮断器も駅の両側にあって、電車が来るたび あっちがカンカン、こっちがカンカンして 面白いー。/ そうそう、この駅はホームが短いので、ニコタマ寄りの一両はドアを開けない仕様です、ご注意下さい。)↓参道前。

(↑世田谷区 しかも隣は自由が丘、とは思えない昭和な雰囲気~)

↓山門。

↓(ここからはデジカメで撮っております。)

山門の扁額の文字は「般舟場(ハンジュジョウ)」。(般舟はサンスクリット語pratyutpanna(顕在化_心を集中させ眼前に仏を見る)の音訳、+ 舟場は浄土宗では彼岸へ旅立つ場を意味するそう。)

門に掛けられた板には「九品佛浄真寺総門」と記されていました。
↓「創建の由来」

「(前略) 開山は江戸時代初期の高僧「珂碩(カセキ)上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城であったこの地を賜り、浄土宗所依(ショエ)の経典である観無量寿経の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。「江戸名所図絵」に描かれている堂塔の配置と現状とはほとんど変わりはないが、昭和40年に本堂・仁王門とも茅葺を銅板葺に改修した。」

門を潜ると左手に現れるのが閻魔堂。

おーっと、「三途の川」を渡らないとならない、よ?

↓入口脇に「うそはつくな!」「わるいことはするな!」と染め抜かれた旗。

お堂の中に入ったら 巨大な閻魔様が我々を見下ろしておいででした。

お賽銭を上げると~
閻魔様にライトがあたり、「御説教」が始まります。皆、 おどろくやら おもしろいやら ありがたいやら _ でした。
(↑さすが閻魔様、良いお話をして下さるんですよー /合掌) あ、こちら、お寺には珍しく堂内の仏像も撮影OKでございました。
↓閻魔様の左には脱衣婆(ダツエバ)、

↓右には懸衣翁(ケンネオウ)。

やー 「心 ひきしまりました」です。

緑の回廊(?)を進みます。

↑閻魔堂向かいの六地蔵。↓やがて正面に開山堂。


↓左手に仁王門が現れます。


↑扁額の文字「紫雲樓」_ だそうです。↓説明板。

↑「紫雲楼(仁王門)楼上の二十五菩薩
 当山に参詣される人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来二十五菩薩に迎えられて、(この先の)三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門よりは内は荘厳の浄土(彼岸)であることを示している。この楼門は寛政年間(江戸中期)の建立である。当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会(ライゴウエ)(お面かぶり)は無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の神髄を示現していることになる。」
↓門を守る仁王さん達。


↓門を潜ります。

(裏面には風神雷神像もあったのだけどカバーがかかってよく見えなかったので撮っておりません_)

青紅葉のトンネルを進みます。

↓神名や庚申さんを刻んだ石が並ぶ一角。
(手前の玻璃摩権現という権現さんのお名前は初めて見ます。どんな神様なんでしょうね?)

↓鐘撞堂。(宝永5年(1708)の建立)


阿弥陀様のお堂が見えてきました。阿弥陀様のお像が三体ずつ安置されている 三つのお堂(三仏堂x3で 九品仏)、です。

(↑小壁の「戦捷(=勝)紀念」に奉納された額が時代を感じさせますね?)

↓説明板。

九品仏と三仏堂
 珂碩上人(1617~94)は、念仏行者として一代の高僧であるとともに、また非常に彫刻に秀でられ、その彫刻された仏像も多数におよんだ。なかでも、18歳で発願、51歳のとき完成した九躰の阿弥陀如来像(九品仏)は上人畢生(ヒッセイ)の結晶といわれる代表作で、未代衆生(ミダイシュジョウ/末法の世の者らに)化益(ケヤク/利益を与える)の尊い御仏像である。九躰とも文化財の指定をうけ、上品堂(中央)・中品堂(右)・下品堂(左)の三つのお堂(三仏堂)にそれぞれ三躰ずつ安置してある。
 上品堂のうち、中央を上品上生仏、右を上品中生仏、左を上品下生仏とする。中品堂、下品堂と同様で、したがって阿弥陀さまには、上品上生から下品下生まで九つの名があり、それぞれ手の位置および印契が異なっている。なにゆえに阿弥陀さまに九品の差別があるのか、一つには私たちの浄土教入信の過程・段階を、二つには念仏によって身と口と意(ココロ)の三つが浄化されてゆき「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、思い患うことぞなき」という念死念仏の心境に至る道程を示したものということができる。京都府下の浄瑠璃寺(九躰寺)⇒ とともにわが国における東西の九品仏像の双璧である。」


↑南から「下品(ゲボン)堂」、
↓「上品(ジョウボン)堂」、

↓「中本(チュウボン)堂」。


普通三つのお堂のお参りの順番は、上→中→下 が普通~だそうですが、すみません 今回私達手前_下品堂からお参りしてしまいました。


さて_
下品堂・中品堂に並ぶ仏像は金色に輝いていましたが、実は現在「修繕事業」が進行中、だそうで この後で見たお堂では 仏像や光背が「修復を待っている」状態でした。



今とんでもなく金が高くなっているから「これは大変・・・」と思わされましたよ。
_お寺では「貴方の化佛を未来に残す」と銘打ち 勧進の呼びかけを行っていました。
↓上品堂の右側_上品中生の阿弥陀様は 本体が見えませんでした。多分工房に運ばれていたのでしょう_。


↑上は上品堂の中央、上品上生の阿弥陀様。↓下は上品下生の阿弥陀様。

全体にくすんで見えますね?/ 次に工房に運ばれるのはこちら(どちらか)の仏像かも?

さて各お堂にはそれぞれのリーフレットが置かれていたので 頂いて参りましたよ。

(↑一体一体の印の違いも載っておりました。)
さて上中下のランクの 一番下「下品下生」の人ってどんな人の事かというと_(「下品堂」のリーフレットによると)「十悪罪を犯し、当然地獄に堕するような悪行を重ねたものであるが、幸いにも教えをうけ、南無阿弥陀仏ととなえて十念を具足した人」の事ですって。(どんな者でも 生きているうちに たとえそれが死に際であってさえ 阿弥陀様にすがれば救われる~ という事なんですね?)
でもどのリーフレットも(三冊とも)最後の頁には「上品上生の往生を願いましょう」で結ばれていました。(「下品下生」の人も極楽に往生する事はできますが 「蓮華が開くまできわめて長い時間がかかると言われている」からだそうです。(死後 愛する人達とすぐの再会を望むなら 上品上生の往生をこそ願うべき、なんですね?)
_浄土宗の事が すこーし わかったような気がしました。

この後は本堂へ。



↑扁額の文字は「龍護殿」。
↓説明板。

↑「本堂
 本尊に珂碩上人御自作釈迦牟尼如来(文化財)を安置し、当山第二世珂憶(カオク)上人代、元禄11年(1698)三仏堂ともども上棟した。世に珂憶造りと称せられ、雄大荘重なる茅ぶきの大殿である。近時、往昔の面影そのままの銅板葺に大修築を完了した。
 本堂はまた「龍護殿(リュウゴデン)」とも言われ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(此岸)をあらわす。当山独自の行事である「来迎会(オメンカブリ)」⇒は、この本堂(此岸)と三仏堂中央の上品堂(彼岸)とのあいだに橋をかけ、阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来(ゲンライ)と三回橋を行道するものである。」
へー「おめんかぶり」~、一度拝見してみたいものだなあー。/ お寺のHPによるとこれは四年に一度の儀式で 次回は「令和十年五月五日」だそう。(生きてるかな?私達^^;)

堂内_。

↑高い天井、
↓大きな仏像_。

畏怖の念にかられ 膝をつき合掌。

ありがたいお堂でした。

この後はもう一度開山堂前を通り_

東門から外へ。


お昼を食べに 自由が丘へ向かいました。

_つづく