秦野の湧水「弘法の清水(シミズ)」  | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

小田急秦野駅の「秦野名産センター」で峠漬を買った後は_

(↑駅北口のロータリーとそこに架かるペデストリアンデッキ。)

_少し東へ歩き、

(↑「尾尻(オジリ)地下道」)
弘法の清水(←秦野市内あちこちにある湧水の一つ。弘法大師が 持っていた杖で地面を突くと湧いた~ という伝説を持っています。)を見に行ってみました。
(↓地下道手前の小径を左に入ったところ_)


坂を上ると線路脇に出ました。




↑この車輛は、保線作業で使われる「軌陸車」ですって。

↓踏切に出ました。

(↑撮り忘れたのでストリートビューより_)
↓遮断機脇に説明板があった。


↑「寿徳寺湧水地
   南地区まちづくり推進委員会
 近くに名水弘法の清水があったり 尾尻地区は大へん湧水の多い所です。ここは、昔あふれる湧水による大きな池があり、鯉の泳ぐ姿が手にとるようでした。
 今は、多くの市民の飲み水として、広く使われています。」
(↑弘法の清水、説明板にも載ってる~。)

↓踏切から北へ歩きます。

(↑東側は寿徳寺。)
↓T字路に出ました。

↓カーブミラーに「弘法の清水」への案内板。

↓おや、これは?

地図を見ると「臼井戸の道祖神・地神塔」と書かれています。

↑左・・・?社?龍? _字は読めませんが、 (右が双体の道祖神さんですから 消去法的に)地神塔???/両脇は石灯籠あるいは宝篋印塔の擬宝珠の名残でしょうかね?

↑横面に設置年を表す文字が彫られています。
左/ 文化五(1808)戊辰歳、 右/ 嘉(かな?)永三(1850)戊年。

カーブミラーのあったT字路を左にとり、道なりに行くと~



屋根付きの湧水ポイントがありました。

ここが「弘法の清水」ですね?(水通しの右には「弘法水」と刻まれた石がはまっていましたが。)

↑二段になった升。/上が飲料用、下が洗濯用、だそうです。(柄杓の横のプレートに「上段は水飲場です 物を洗わないで下さい/臼井戸水神講」と書かれていました。 // 尚「臼井戸」はこの弘法の清水の別称。伝承の一バージョンに「弘法様が水を湧き出させて下さる際 杖でこの地を突き 『ここに底の抜けた臼を置きなさい』とおっしゃり、その通りにするとそこから水が~」という物があるようです。又「(この地の)井戸の形が臼に似ていた~」という説もあるらしい。 又、臼井戸はここの小字名(コアザメイ)でもあるそうです。)


↓脇に立つ柱に「名水百選 秦野盆地湧水群復活宣言 平成十六年一月一日」と書かれていました。/ 復活_という事は一度 消えていた んでしょうか??? (答えは隣の由来記に_)


↑アルミ(かな?)板に 「弘法の清水(臼井戸)の由来」が刻まれていました。
「地元では臼井戸と呼び、湧水地主の代々の言い伝えは次のとおりです。
 夏の暑い日盛りに、一人の法師が立ち寄られ水を所望された。妻女は水がめを見たが一滴の水もありません。「ただいま汲んでまいりますのでしばらくお待ちください」と寺の地まで水を汲みにいって立ち返った。法師は恐縮し、その親切と労に感謝をし、錫杖を地面に突きさし穴をあけ、「三日たったら、底をくり抜いた臼をここに据え置きなさい。必ず水が出るであろう」と立ちさられた。法師の言ったとおりにしたところ臼の中から清水が湧き出てきた。臼の中から湧き出る水、臼井戸と呼ばれ、古来この地の地名となり、後に、子々孫々へ語り継がれる中で弘法大師の伝説と結びつき、立派な民話となった。
 この天然の清水は、深い地層の洪積層から湧き出ており、どんな日照りの年でも水が枯れることはなく、水量が日量百三十トンと安定している。
  地元管理者臼井戸水神講
  秦野市観光協会 」

続く「全国名水百選 秦野盆地湧水群 (昭和六十年一月四日 環境庁選定)」では 環境庁によって秦野の湧水群が認められ「名水百選」に選ばれた喜びと誇らしさが書かれていたのですが~

それに続く「名水復活への道のり」の段には どきり とする厳しい話が載っていました_。

「名水選定の喜びも束の間、平成元年一月にこの「弘法の清水」が、発がん性の疑いのある化学物質「テトラクロロエチレン」に汚染されていると判明、市民に大きな衝撃と不安を与えた。当時、地中の汚染物質を取り除く技術は未確立、地下水の入れ替えも困難、不治の病といわれた。暗中模索の中で、地下水汚染機構の解明調査に着手し、幸いにも表層土壌の汚染状況や地層・地下水修道を明らかにすることができた。平成六年一月、全国に先駆けて「秦野市地下水汚染の防止及び城下に関する条例」を施行、市が対象物質を使用した百三十一社を調査、うち基準値を超過した四十五社を関係事業者に指定し、汚染原因者の負担で詳細調査を行った。汚染状況から城下費用が二百億円と積算され、関係事業者の費用負担が新たな課題となった。
 市では中小事業者の支援策として、土壌ガスを吸引する掃除機のような小型の城下システムを開発し無償で貸与する制度を新設。大手企業は自ら浄化装置を設置するなど、公民協働で本格的に浄化事業に取り組んだ。地中からの回収汚染物質総量は一万七千キログラム(飲料水に換算すると約六十年分の汚染量)を越え、汚染地直下の地下水は急速に改善をみた。この効果を早急に波及させるため、市は独自に地下水の人工透析的浄化装置を考案し平成八年度から浄化事業の更なる推進に努めた。
 こうした市民全体の懸命な努力が結実し、浄化費用を当初積算額の四十分の一(五億円)に軽減し、二年間の測定結果、市条例の基準に全て適合したので、平成十六年一月一日、地元水神講の皆様と共に「秦野盆地湧水群」の「弘法の清水名水復活」を宣言した。
   平成十六年六月吉日 秦野市」
↑最後は めでたし めでたし。

奥には注連縄の回された石の祠がありました。(水神講の皆さんが守っておられるようですから きっと水神さんが祀られているのでしょうね?)

↑扉の横面に「大正十三年 九月十五日 建之(コレヲタツ)」
↓台の前面には「弘法水」の文字。/横には寄附金を出した方々の芳名が刻まれていました。


苦心の末に復活した湧水。これからも長く守ってゆかれますように。


_この後は(一旦寿徳寺まで戻り_)、

踏切を南へ渡って 次の目的地「今泉名水桜公園」を目指しました。/ つづく