
歩道に沿って 美味しそう~ なお店が並んでて「困っちゃうなー」でした^^;)




↓道を渡った先のお饅頭屋さんも覗きます。



↑楽しい~~~♪/ 中の写真を撮らせてもらいながら 買わずに帰るわけにはいかない、が
これからコンサートを聴きにいくという身、、、。「帰りに寄りますのでー」とお詫びを言って ひらしんへ向かいました。
平塚って 七夕の頃しか来ないので「大混雑」してるところしか知らなくて_ 商店街を歩きながら「あれ? 今日は人が少ないなあ」などと思ってしまいました。(月曜とはいえ 祝日だったんですけどねー)
でも逆に (建屋的に)「色んなお店がある」のに気づけもしました。



(↑このサンプルケースなんて アンティークの域ですわー)
↓時にこの通りには「石」のオブジェがあちこちに設置されていたのですが・・・ 平塚って石の産地でしたっけ?


(↑あ、こっちが正面のようですね?)




_とりあえず オブジェの下は、路上変圧器かな?
↓しんしく横丁、通り抜け。


(↑飲ます気マンマンですね?)
「ひらつか市民プラザ」では「花巻物産展」が開かれてました。


(花巻の物産~ って何だろう? と気になったのだけど時間が無かったので 素通りー・・・)
↓「ひらしん~」まであと300m。

(↑関係ないけど 「海抜5.2m」ですって。海から結構離れているのにね?)
↓あら、これは何でしょう?

↓「東海道五十三次 平塚宿の江戸見付附(エドミツケ)」、ですって。

↓横の説明板を読んでみます。

↑「平塚宿と加宿平塚新宿の間には、かつて松並木があり、その松並木の西端に平塚宿江戸見附がありました。
本来、見附は城下に入る門を示す「城門」のことをいい、城下に入る人々を監視する見張り場の役目を持ちました。したがって、宿見附も宿の出入り口を意味すると同時の、宿を守る防御施設として設置されたことがうかがえます。また、見附は必ずしも宿境(宿境は傍示杭(ボウジグイ/木製の標柱)で示す)を意味するものではなく、見附から正式に宿内であることを示す施設でした。さらに、宿と宿の間の距離は、この見附を基準としました。
平塚宿の見附は二か所。一般に江戸川の出入口にあるものを江戸見附、京側にあるものを髪型見附と呼びました。この二か所の見附の間が平塚宿内で、街並みは東西に十四町六間(約1.5キロメートル)、東から十八軒町・二十四軒町・東仲町・西仲町・柳町・の五町で構成され、その仲に本陣、脇本陣、東・西の問屋場(トイヤバ)二箇所、高札場、旅籠などがあり、江戸時代を通して二百軒を超える町並みが続きました。
一般的に見つけは、東海道に対してぎょっ閣に一するように設置され、土台部は石垣で固め、土盛りされた頂上部は竹矢来(タケヤライ)が組まれていました。
平塚宿江戸見附は、長さ約3.6メートル、幅約1.5メートル、高さ約1.6メートルの石垣を台形状に積み町歩を土盛りし、東海道に対して直角に対をなし、両側の見附は東西に少しずれた形で設置されていました。
平成十三年(2001年)十月
平塚市 」

↑へーなる程。
↓ここに置かれているのはその復刻(おそらく北側の物)、ですね?

(↑尚、後ろに見えているのは崇善(ソウゼン)公民館。少し北に建て直された崇善(ソウゼン)小学校の跡地に建てられたので この名があるようです。)
江戸見附と焼肉キングの間の道を北へ進むと~

(↑ブロ友さんから聞いたオマケの話/ 今焼肉キングやくら寿司 ローソンが建つブロックには 「ひらしん~」の前身施設である 「平塚市民センター」があったそうです。 へー)
↓「ひらしん~」に到着、です。

- シーン抜け -
帰り、の事_
↓ありゃー 「花巻物産展」終わってましたー。

↓しんしく横丁は輝き始めてました。



↑しんしく横丁の先の スズラン灯風のライトが差し交わす通りの先に~
↓とんかつ-いちかわ。

実は この日はここで夕食を~ と思っていたのですがー

↑がーん・・・。「本日の営業は終了しました」の札が出てました。(昼の営業でお肉が売り切れたのか? や、もしかしたら 夕方の営業の前 だったのかも?)
_そういう訳で 食事は小田原に帰ってから~ という事にして、 駅前でお饅頭を買う事にしました。

(↑平塚駅北口)
↓予定通り、つるやさんで「都まんじゅう」を求め~



(↑包みには 色んな焼き印のが入ってて面白かった^^)
↓更に_鷺月堂(ロゲツドウ)さんにも寄って~


↑鶯餅を買いました♡
(鶯餅は、秀吉が 弟-秀長の城(大和郡山城)での茶会で菓子職人-菊屋治兵衛が作った菓子にこの名を付けた~ と言われるお菓子。/ ドラマでもこの逸話 出て来る かな?)
余談ながら_
都饅頭は、駅のホームで食べちゃった。

お腹がすいておりましたので・・・。(お許し下さい。)
おしまい。