大井町に残る「酒匂堰(サカワセキ)取水口」(移転復元) | おだわらぐらし

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さて、大井町の生涯学習センターホールでのイベント(「KANAGAWA ロックサーキット /語り継ぐロックの伝説」、鑑賞)に向かう前、なのですが_

生涯学習センター南に移築復元されている「酒匂堰取水口」を見ました。


(↑図書館前、になります。)

↓説明板。




↑写します_
酒匂堰(サカワセキ)取水口
酒匂堰は慶長八年(1603)西大井村上に造成され その後、慶安余年(1651)金手村に堀替えられた。
これは当時酒匂川左岸二十三か村、小田原藩二万石の田地用水であった。
享保十九年(1734 /250年前)当時天領の金手村、西大井村と小田原藩二十一か村とが三年間はげしい水争いをし幕府評定所(ヒョウジョウショ)において、老中松平伊豆守(信綱)、奉行大岡越前守(忠相)の裁により、金手村は酒匂堰から取水している、三本の堰のうち一本を潰し、二本とする 二十一か村は水揚人足を出すようにする、ということで決着した。
酒匂堰取水口は、昭和四十六年(1971)町文化財に指定したが 大井、開成、関本線足柄大橋工事のため、取水口を昭和六十年取り潰した。公民館(←多分現在の生涯学習センターでしょうね?) 落成にあたり、取水口の一部をここに移転復元した。
  昭和六十二年(1987)十一月一日
   大井町教育委員会 」


↑「酒匂堰取入口説明図
(取水口から取り入れられた酒匂川の水は 左岸の堤防の下をくぐって耕作地に引かれていたんですね?)

↓足柄大橋工事中に発見されたという 三連の取水口。


取水口の両側の柱には溝が彫られていますね。板を嵌めて水量を調節していたのかな?

(↑柱のプレートには「きけん/この中はあぶないからはいらないでください。館長」と書かれていました_)



↑多分、上の屋根型の石の蓋は 堤の土の重さを分散させるために この形が採用された、のでしょうね?

↓■大井町の頁(PDF)⇒
(↑この頁に 「足柄大橋工事中に発掘調査された時の模様」という興味深い写真 が載っていました。これが 現在ここに移されている遺構ですね?)

なかなかに興味深い遺構(の復元)、でございます。

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<おまけ>
取水口のすぐ横に 楷の木(カイノキ←楷書の楷はこの木から、と言います。「学問の木」の別名もあり)。

その横に薪を背負い本を読みながら歩く二宮金次郎。


↑金次郎像も昔の学校にはほぼ必ず置かれていたものでしたよね?/ながら読書は危ない と この頃は「座って本を読む金次郎」の像なども作られるようになっている~と聞きますが、やはり 金次郎といえばこのスタイル、ですよね? 

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<おまけ2>
生涯学習センター、町役場の北の「おおい中央公園」にも行ってみました。

↓富士山型のジャングルジム(ザイルクライミング)の横に 富士山が見えました。

↓ジャングルジムの上からは きっと富士山が(より)よく見えるわね?

↓園内の掲示板に「ゆめおおいまち」の文字。

↑素敵な標語^^)))♪ / おしまい。