小山町の豊門(ホウモン)公園の和館「豊門会館」 | おだわらぐらし

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少し前_
ブロ友さんがブログで紹介されていた 静岡県は小山町(オヤマチョウ)の豊門公園へ行ってみました。(とっても素敵に紹介されていたので「これは 行ってみなくちゃ」と~)

着くなり「おおー」。

↓植え込み近くに設置されていたパネルは劣化して 字が読み辛い状態で ちょっと残念でしたが・・・。




↑ともあれ 公園敷地の広い事 そしてここ小山がかつて富士紡績(現-富士紡ホールディングス)で栄えた町だという事は伝わってきま・・・しょうか? (今小山町には紡績工場の建屋や職工達の宿舎が建ち並んでいたかつての面影はありませんが。)

では公園内へ。


↑まず見えてくる洋館(現在は資料館とカフェになっていますが 元々は従業員のための教育施設 後に従業員宿舎となった建屋だそうです)_の横に立つブロンズの像。

この方は?/台には「日比谷平左衛門」と彫られています。
日比谷平左衛門さんって どなた?/と調べるうち、 意外な事実がわかりました。
今立つ像は2018年に再建されたもので、明治40年(1907)に作られたオリジナル(除幕式は翌41年_工場の始業式の日)は戦時中の金属供出で失われていたのです!
_と 話が横路にそれましたが、
日比谷平左衛門は 富士紡績の発展に尽力なさった方で 像はそれを顕彰して立てられたもの、との事です。

さて、洋館の方は後で見学する事にして~

先に 和館_豊門会館を拝見しましょう。


豊門会館と呼ばれるこの立派な日本家屋は、元々は富士紡績社長 和田豊治の私邸(明治40年頃東京都向島に建てられた和田家別邸)だったそうです。

和田豊治の死後(大正13年3月) 彼の遺志として遺族より寄贈を受けこの場所に移築され 大正14年より「豊門会館」となり~ その後長く富士紡績社員らの福利厚生施設として使われてきたそうです。
(尚、和田家別邸が元々建っていた向島界隈は 大正12年9月の関東大震災では地震後の火災による焼失面積の大きかった場所ですが、この建屋は焼け残り 避難民の受け入れ場所になったと言います。⇒(←3/7あたり))
↓そうと聞くと 「頼もしい」お顔に見えてきますね?

↓玄関上の破風。

↓煙出(ケムダシ)が載ってるところはお台所でしょうか?


↓南側には棟続きの洋館もありました。

↓洋館の玄関。


↑南側には印象的な台形の「出窓」が。

裏手(東側)には池もありました。






少し離れた所に石の塔。



↑「和田君遺悳(イトク)碑」
↓そばのプレートに 塔に彫られた文言の現代語訳がありました。

↑「衰退した富士紡績小山工場の再建のために、和田豊治さんに駿河小山に来ていただきました。富士紡績は、つらく厳しい場面に直面していたことから、無駄な費用を削減し、多くの利益を生み出すために、和田さんは家に帰ることができないほど忙しい毎日でした。その結果、短期間に会社は復興しました。~」(とてもいいお話_)
↓塔は高台の端に建てられており、すぐ下に小山中学のグラウンドが見えました。


では入館しましょう。

この日はラウンジ(洋館部分)で 細野朝士という方が作られた万華鏡の展示会もありましたよ?

もっともその代わり(?)喫茶はお休みだったもよう・・・。

↓下駄箱。

↓上がり框(カマチ)。

靴を脱いで上がります。

↑額に「豊門會館/昭和辛未(S.6年/1931)七 月 九十二 翁 青淵」の文字。揮毫は92歳の渋沢栄一ですね?(尚、「豊門」の名は 和田豊治の「豊」、当時の富士紡績の重役だった 森村市左衛門、日比谷平左衛門、浜口吉右衛門の3人の「門」から、とか。)
↓左の小壁にゆかりある人々の写真。

(↑左から/川崎栄助、浜口吉右衛門、和田豊治、日比谷平左衛門、森村市左衛門。)
↓「豊門会館の歴史」

↓館内案内図。


↓右手の扉の先は洋館で カーペットが張られた床の上に 見学者用のスリッパが並んでいました。

↓小ホールに出た(入った?)ところ。

↓廊下を通って ギャラリーになっている洋間を目指します。


(↑玄関ホールにあった 古い傘立て。鏡がはまり帽子掛け、上蓋つきの収納ボックスもついています。)
ここからがギャラリー。

↑左が東の間 (もう一つ左が池をのぞむサンルーム)、右が西の暖炉つき広間。/ 正面に飾られているのは、館の元々の持ち主で 死後小山町にご寄贈下さった和田氏の胸像。

(ギャラリーには展示品があった訳ですが「撮影OK」と言って頂けました。/ 尚 ギャラリーで展示品の説明をしていた方は 建屋の歴史、意匠の説明などもして下さいました。ありがとうございました。)

↓天井の鏝絵の素晴らしい事!

↓鏡の載る 暖炉。


↓壁には和田氏の肖像画。



↓南側の張り出し窓は 内から見ると こんな感じ でした。


↓寄木細工の床。

↑左が西の暖炉のある広間、右がサンルームに繋がる東の間。
↓東の間からサンルームへ出るところ_。



↓サンルームへ出る部分の床は、畳一枚分程が板張りで、他はタイル張りでした。(今はフラットですが、もしかして元々は段差があった、のかな?)


因みにこのサンルームは 和田さんが 植物が好きだったお母様のために作って差し上げたもの、との事でした。(まぁー)

引き返して 和館へ向かいます。



和館部分へは 当然ですがスリッパを脱いで上がります。


↑和館に入ってすぐの部屋。廊下がめぐらされ 南にも東にも庭が見える 解放感ある部屋でした。
↓時に床の間にはこんなお人形が飾られていましたが 誰だろう?


↑麻呂眉があるのに その下に立派な眉もあり、冠がなく 立派な鬚で 束帯を着て平緒をつけ剣は持つのに笏は無く・・・。うーん、うーん。/ こんな時は「グーグルレンズ先生」に聞いてみよう。スマホ! すぐ教えてもらえました。これは静岡県中部で三月三日に 男の子の健やかな成長を祈って飾られる「天神人形」、つまりモデルは菅原道真だったんですねー。(余計なお世話ながら 普通の天神人形は冠をかぶり笏も持っているみたいです。。。)


↓廊下には机や座布団が置かれていました。 見学者の休憩用かな?


↑縁側から池を見たところ_。

いわゆる「雁行型(ガンコウガタ)」の 採光面を多くとる建屋。縁側沿いに東へ進みます。


↑縁側。

↑縁側から 南を眺めたところ。(右に見えるのが「天神人形」があった間。その奥が洋館のサンルーム。)
↓一番東の間。(ここも南と東から庭を眺める事ができます。)



↑西に並ぶ畳の間。
↓座敷と座敷の間の 畳が五枚並んだところ_。(館内案内図では「次の間」となっていましたが 畳敷の廊下のようなものだったかも?)

↓廊下側から見たところ。


廊下に出ると、二階へ続く階段がありました。



が、この日二階は貸切で 階段を上がる事は出来ませんでした_残念。



続いては門側に戻り、カフェの入る西洋館へ行ってみましょう。