平地ではすでに「終わった」感のあるアジサイですが、箱根も強羅まで上がると まだ「見頃」と聞き ぴゅう と強羅公園へ行ってみました。(午後から用事があった日ですが、小田原からだと強羅は「半日観光」圏。)


えーっと アジサイのコーナーはどっちかな?

↑マップによると 右のスロープの先の 茶室隣、みたいですね?
↓行ってみます。



↑このへん、かな?
↓おお、 イイカンジ ではありませんか!





↑色とりどり~。
↓個性的な花もありますよ?


↓階段上から~。




噴水脇に出ました。



↑顔の高さ_大文字山(こと明星ヶ岳)の手前を 右から左に雲が流れて行きます_。
さて、実際はここで「一色堂茶廊」でお昼を食べているのですがー


話がとっ散らかるので_
茶廊建屋横のアナベルが咲く小径 その上のバラ園の絵を先に貼ります。






その上のバラ園_。












↓バラ園の東屋の縁に立って 噴水方向を振り返って見たところ_。

(↑雲を背にすっくり立つヒマラヤスギ、が ここを「天空の庭」の様に見せています~)
さて、バラの咲く丘を下りてー


↓一色堂茶廊の方へー。

次の頁で この日ここで食べたお昼の話をいたしましょう。
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<おまけ>
バラ園の北に 「強羅公園設計者 一色七五郎記念碑」 というものがありました。


↑写します_
「強羅公園は大正三年(1914年)に開園されましたがその設計監督は一色七五郎(1865~1920)が担当し西沢笛敏(テキホ)・益田英作(←鈍翁の弟)らがこれを補佐しました。
一色翁没後、十三年忌に当る昭和九年 鈍翁益田孝の主唱によって建てられた顕彰碑がこれです。碑背に一色に従った弟子たちの名も彫られています。
強羅公園のフランス式の造園様式の地割りや、園内白雲洞茶苑(公園中)の風雅などに併せて、近代数寄者たちの多彩な面影が偲ばれる碑です。」
強羅公園には何度も来ていますが この石碑にはこの時まで気づきませんでした_。
一色さんのお名前、私も覚えようと思います。 (今頃ですが、 園内のカフェ「一色堂茶廊」の一色も 一色七五郎さんのお名前からとられたものだったかもー? ですね?)