高砂(タカスナ)緑地(亭主だけ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

亭主の「ひとりさんぽ」の続き_

大磯でお昼を食べた後は 茅ヶ崎へ行っております。

↓中海岸交番前の「まちあるきマップ」。(地図内の「高砂」は たかさごではなく「たかすな」と読みますのでご注意下さい。)

(思えば私 茅ヶ崎って海側へ下りた事無いわー。)

しかし 上のマップの「現在地」から ああ サザン通りを歩いて 海へ行ったのね?と思ったのにー
亭主が目指していたのは(意外にも?)高砂(タカスナ)緑地でした。(変な動線なのは 実は亭主が サザン通りの「大勝軒」というラーメン屋をのぞいていたからー)


↓緑地を囲んでいるのは「四ツ目垣」という竹垣、ですって。(一般的過ぎて?何とも思ってませんでしたが 「名称」があったんですね。覚えましょう。)


あ、ここには「茅ヶ崎市美術館」があるんですね?



↑今かかっているのは「うつわの彩り」という企画展、ですか。へー。(おもしろそう)

↓ん? これは?

川上音二郎とその妻-貞奴の写真を写したタイルの嵌るプレートに ドアの様な物が刺さってる?

↑あ、よく見ると刺さっているのは「川上」の文字ですね。(磯子辺りで見た「文字」をアート作品にするスタイル~の仲間かな?)
↓その先にも プレート。


↑何々_「川上音次郎別荘(萬松園)の井戸枠
明治30年代、この地の一画に、新派劇の俳優で、当時有名だった川上音次郎・貞奴夫妻が別荘を設けました。高砂緑地内の井戸枠は音二郎の別荘ゆかりのものといわれています。」ですって。
↓あ、あれ、ね?


又行くと_

「山田耕筰 作曲 / 赤とんぼの碑」というものがありました。


↑へー山田耕筰は大正15年からここ茅ヶ崎に住み数々の名曲を作曲した~ んですか。(『同様百曲集』を刊行した彼は そのあとがきに「晴朗な湘南茅ヶ崎の大気」「松翠香る茅ヶ崎の砂丘」と記しているそうな_)/ 昭和31年に「音楽家として初めて文化勲章を受章した」のも彼だそうで、 へ~っ でございます。
↓下のプレートには「石碑の赤とんぼの大きなお目々」という文が記されていました。

↑これによると_ 「あなたの好きな歌 日本一」に 山田耕筰が茅ヶ崎で作曲した「赤とんぼ」が選ばれた事を記念して作られた石碑に「赤とんぼのお目々」がつけられた との事。(更に これには「なでると幸せになる」という思いがこめられている~ そうな)
かなり「不思議」な感じがするんですがー・・・
↓石碑ってこれ ですね?

↓あ、裏側に たしかにとんぼの目を思わせる 丸が二つありました。


又行くと_

若くして亡くなった八木重吉という詩人を偲び覚えるための石碑と_

↓彼が残した詩「蟲」が刻まれた石がありました。


その先には・・・



↓「「松籟荘(ショウライソウ)」の玄関前庭と塀」、と書かれた説明板がありました。

↑「昭和6(1931)年に建てられた、実業家・原安三郎(←浮世絵のコレクターとして有名な方 だそう)の別荘である「松籟荘
」の玄関前庭と塀。タイルや敷石、噴水などが、当時の南ヨーロッパ風の近代別荘建築を今に伝え(て)くれます。
   茅ヶ崎市教育委員会 」

へー。/ そうと知ってから見ると、なるほど これは「噴水」ですね?


↑瓦も南欧風に見えます。
(そういえば茅ヶ崎には「ヨーロッパ村」というバス停があると聞きます。/茅ヶ崎ではヨーロッパ風の建屋が好まれたのかな?)

で 今に残るこの塀の横(かつてあった洋館跡地)に建つのが_


茅ヶ崎美術館なのでした。


この時掛かっていたのは「うつわの彩り」。

亭主、入ってみて おります。

館内は基本的に撮影禁止でしたが 撮影OKのコーナーも設けられてたみたい。




↑詫びた良い色。落ち着きますね。(全て北大路魯山人の作とか)
もっと見たーい。ところですが、絵はここまで。


次いで見たのは 松籟荘の庭。原氏の別荘時代に作庭されたもの~ だそうです。

(松籟荘は1984年に茅ヶ崎市が購入して「緑地公園」として公開する事になったそうですが、この時 主屋は老朽化のため取り壊されています。ちょっと残念) 

↓この辺にあるのは梅の木かしら?

↓影地に半夏生。



↑立派な石灯籠。
↓木立の中に何か建ってます_。

↓こ これは?

「奈良薬師寺の三重塔 1/10スケール」ですって。


↓池があった。



↑涼やかな水の面。
↓池に注ぐせせらぎ。


↑奥には滝も。

↓この趣ある建屋はー

↓「松籟庵(ショウライアン)」だそうです。


↑中には茶室があるそうですが、これは原氏の別荘時代からのものではなく スーパー「長崎屋」の創業者 岩田孝八氏が市に寄付した資金によって1991年に建てられたもの、との事。


↑入口横の壁には「松籟庵 / 岩田孝八寄贈」と彫られた板が掛けられていました。

↓近くにはこんな案内も。

↑「茶道入門
 今年の夏は松籟庵で茶道を体験しよう!」
(対象 高校生以上。参加費 1000円、持ち物 白靴下。各回 2時間、定員15名。 なかなかよさげ~)

退出してー

↓通りへ出たところ、らしい。

↓「高砂緑地」の札の貼られた門柱の横に、「高砂緑地の歴史」というプレートがありました。/ こっちから見学するべきだった模様~^^;)

↑写します_
「この地は高砂(タカスナ)緑地といいます。その名前の由来は、かつてこの付近に砂山があって「高砂」と呼ばれていたこと、この地は小字が「上高砂下(カミタカスナシタ)」であることによります。
 明治30年代に、この地の一画に新派劇の俳優で、当時有名だった川上音二郎・貞奴夫妻が別荘を設けました。市内の小和田に別荘を設けた久代目市川団十郎を慕ってのことと伝えられています。今も緑地の中にある石の井戸枠が音二郎の別荘にゆかりのものといわれています。
 大正8年(1919)、音二郎の別荘地だった所を含めて、付近一帯を実業家 原安三郎が別荘とするために購入し、松籟荘(ショウライソウ)と名づけました。原は昭和6年(1931)敷地内に新しく主屋を建て、翌7年に廻遊式の日本庭園やその他の建物をつくりました。主屋は木造二階建て、延床面積347.34㎡の南ヨーロッパ風建物でした。主屋の設計にあたったのは石井義弘ですが、原の個性が随所に見られたといわれています。
 松籟荘は、戦後しばらく占領軍に接収され、その時主屋は一部を改造されたりしましたが、後に貴重な近代洋風建築物として、またすぐれた別荘建築として高く評価されました。
 茅ヶ崎市は、松籟荘を、昭和59年(1984)に購入し、同年高砂緑地として公開しました。主屋は老朽化のため取り壊されました。
 また、平成3年(1991)、茅ヶ崎市は緑地の一画に茶室を建て松籟庵と名づけ解放しています。  茅ヶ崎市教育委員会 」
(↑右下の写真が かつての松籟荘の入口、のようですね?)

見所多い高砂緑地、 私もいつか行ってみたいと思います!


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<おまけ>

↑烏帽子岩の描かれた 茅ヶ崎のマンホールの蓋。