↓一度 JR函南駅に戻ったところから~。

駅前には「かんなみへ ようこそ!」という名所案内のパネルがありました。

が、パネルには さっき見て来た「桑原川橋梁」も、これから行こうとしている「不動の滝」も載っていないのでしたー^^;)))

でも、ああ よかった(?)、駅の向かいの地図には「1⃣冷川不動尊・不動滝」が、載っていました!(地図は下が北)

(土木遺産である「桑原川橋梁」は ここにも載ってませんが・・・^^;)))

↑1⃣の「冷川不動尊・不動滝」の部分、写します。
「京都高尾にある神護寺(ジンゴジ)の再興を後白河上皇に強く訴えた為、伊豆に流された 文覚(モンガク)上人により造られたといわれている。大正7年に始まった丹那トンネル工事の頃、鹿島組配下の井澤組がこの不動尊を篤く信仰していたため大変賑わった。今も地元の人達に篤く信仰されている。」
では改めて、
散策に出発。

(↑駅舎をバックに 冷川の方を向いた ところ_)

↓在来線+新幹線の桁橋下を抜けます。


↓左手に個性的なペインティングの・・・ 建屋?


↑かと思ったのですが、後で地図を見たら調整池でした_。
で、この調整池のところで道を右_川の方へとります。


↓冷川の左岸には棚田が連なっていました。(右岸は住宅地_)




左手に小さな建屋が見えてきた_。

で 意外にも(失礼)ここが不動堂でした。


(↑道に面して建つのは お堂の付属建屋のようです。)
↓お堂の裏手に小ぶりの滝が見えます。冷川の流れの方が どうどう と大きく、滝に気づきませんでしたが ここまで来ると 滝の水音も そうとわかるように。


(↑お堂の裏の崖の途中に 祠が見える事、覚えておいて下さい_)
まずは手を洗いましょう。

おっと その先にちゃんと手水屋がありました_。

参道脇に 笠の載る円柱。

↑左の物は「不動堂」「享保十年」と彫られているようです。
↓これには「不動明王」と刻まれていますね?

↓手水舎。


↓その横に由緒書。

↑「冷川不動明王略縁起
創建年代は不詳なれども伝説として次の事項を伝えている。
平時の乱 頼朝伊豆に配流され、(永暦元年、1160)源家再興を伊豆三島大社、箱根権現、伊豆山権現に祈願、その後文覚上人(1173)伊豆奈古屋に流され、頼朝 文覚と共に舟山大平山長久寺に参詣(現宅(宝?)舟山高源寺)、源氏再興祈願と旗揚げを議したという。当時高源寺は真言宗(現在は曹洞宗)にて修行の道場として伊豆一円を支配していたものと思われ、塔中(タッチュウ)に安養寺臨川寺瑞雲寺不動院ありしと豆州志稿(ズシュウシコウ/江戸後期の地誌)にあり。案ずるに不動院は今の冷川不動なしりや と思われる。本尊赤不動明王は文覚の作なりと云われるのも、この関係ありやと思われる。
頼朝 幕府を開くや長久寺は、比企能員(ヨシカズ)の母 己れの乳母として奉せしを以って、朱印地六十町歩を寄進したと云う。
文覚は後御(?)白河法皇の許しを享け、京都高雄の神護寺の再興に努力せりと云う。この故を以って冷川不動尊も真言宗本山派の道場として栄えたものと思われる。その後栄枯盛衰あり 徳川時代になり本地衰跡院(?本地垂迹説?)(神仏混合?神仏混淆 ?)により、佛教の寺院に対し鳥居が建立され、川口勇氏入口二十米程の所に位置の鳥居 境内に二の鳥居が立てられて居れど、伊豆震災で二の鳥居は韜晦し、一の鳥居は台座だけ昭和の初期まで残されていた。
最も栄えたのは文化、文政(化政期1803-1837)時代で、当時は桑原川口氏所有(上川口氏)なりと云われる。その後堂主も常任なく荒れるにまかせたりしも、大正十二年川口利三郎氏(上川口の分家)の世話に依り近隣十七戸で引継ぎ、今日に至っているのが現状である。
大正七年丹那トンネルの工事がはじまり、鹿島組西口を受け持ち配下の伊沢組がこの不動尊を信仰し、境内に板碑を立て 岡田清海老師が住し盛況なりしも、トンネル工事終了と共に亦静閑になったものである。
本不動院に安置される佛体は次の如きものである。
本尊赤不動明王 石像 座像
二童子 矜羯羅(コンガラ)童子 滝右側石屈の内
制吒迦(セイタカ)童子 道路(山之田方面中央石屈内)現在不明
降摩(魔?)の剣に炎 滝上岩上に在り 青銅製
当入穴よりの湧水で滝が出来ているが、奥の院と云われている。滝壷には座禪石が置かれている。冷川の岸にカグラ石が在りミソギの場所だったと云われているが、道路の拡張で現在はない。」
(長いのでちょっと粗くまとめますと_ 「この不動堂は、 高源寺の塔中だった安養寺臨川寺瑞雲寺の不動院だったかもしれない。もしそうだとすると 本尊の赤不動が文覚の作 と云われている事も頷ける~」という事かな?)
参考として_不動堂と高源寺の位置関係。

↓お堂。



ご挨拶。
滝の方へ。

清らな水です。

(説明板には「滝壷に座禅石~」となっていましたが水は溜まっていませんね? 又 滝の水を浴びる石は傾いでいて この上で座禅を組むのは難しそう~でした。 が意図して置かれた石でしょうし、元々は上が平だったのかもしれません。)

滝の右手に矜羯羅童子の像があるのでしたっけ?




↑この中、でしょうか? (確かめられるはずもないので ここまで。)
祠の横から見た滝口。

もう一度滝を見て_

帰途に就きました。

_おしまい。