

地蔵堂川を渡って少し行った所_
右手に「馬蹄石」と記された柱が立っていました。


↓説明板。

↑写します。
「伝説 馬蹄石(バテイセキ)
建久四年(1192)五月、将軍源頼朝は将兵たちの士気を高めるため富士の裾野で巻狩り(狩猟を兼ね演習)を行なった。
その巻狩りに行くため鎌倉より足柄山を越え竹之下を通る時 頼朝がここで駒を止めたと伝えられている。
のちに馬の蹄(ヒヅメ)の痕跡がある大石が露出してきたところから 里人は「馬蹄石」と名づけ頼朝の武勇をたたえた。/ 令和五年四月一日 足柄史跡を守る会 」
ほう、で その「蹄の痕跡がある大石」というのは どれ かな?

あれ、か? これ、か?


・・・とうとう わかりませんでした・・・

又行くとー

今度は「戦ヶ入り」と記された柱が。


↓説明板。写します。

「竹之下合戦伝説地 ”戦ヶ入り(イクサガイリ)”
建武二年(1335)竹之下に陣を敷く尊良(タカヨシ)親王(←後醍醐天皇第一皇子)をはじめ 脇屋義助(←新田義貞の弟)らを将とする後醍醐天皇の軍七千、これに対して足柄峠に陣する足利尊氏軍十八万、(両軍の戦闘員数については別の数値を記すものもある事をおことわりしておきます) 両軍は十二月十一日早朝激突する いわゆる「竹之下合戦」である。
この合戦は大友、塩谷といった将たちの寝返りにあい、足利軍の勝利に終るが後に足利市が室町幕府を築く基礎となる戦であったと『太平記』の記すところである。
合戦で両軍が最初に激突した場所と云う意味で「戦ヶ入り」と名づけられたと伝えられている。/ 平6.8.5 足柄史跡を守る会 」
こんな狭い谷の道で大軍がぶつかったはずはないので ここで戦ったのはそれぞれの陣の先兵部隊~ とか、でしょうか? 嶽之下宮前に 竹之下の古戦場跡を示す石碑もありましたし 本隊同士の戦闘があったのは鮎沢川に出たあたりだった?(鮎沢川の対岸-有闘(ウトウ)坂あたりにも戦跡がありますし) / ともあれ ここが 「いくさがいり」と呼ばれる場所で 現在この道は (時代とともに少し「音」が変化たのか?)「林道 戦返(イクサガエリ)線」と呼ばれているんですね? 覚えましょう。(「林道 戦返線 起点 小山町」の標識の写真は前の頁にございます。_参考までに。)


少し行くと_

クアの道の横を流れる地蔵堂川にー
↓左手から細い谷川が注ぐポイントがありました。


↓脇に「頼光対面の滝」と記された柱と 説明板がありました。


↑「金太郎ゆかりの地
頼光対面の滝
足柄峠から源頼光(ミナモトノライコウ)は赤い雲のたなびく峰を見つけ 家来の渡辺綱(ワタナベノツナ)に あの雲の下には偉人がいるにちがいないとして急いで見てくるように命じました
渡辺綱は金太郎親子に頼光の意を告げ この場所まで二人をともなってきました 頼光はさっそく金太郎を家来の一人に加え渡辺綱 碓井貞光 卜部季武の四人を頼光の四天王としました
初めて金太郎が頼光に対面した場所の滝としてこの名がつきました」
↓その横の石には「南無妙法蓮華経 不動の滝入口」と刻まれています・・・。(ハテ / 同じ一つの滝に 二つの名があるのかな?)

↓ルートも整備されているようなので 行ってみましょう。

↓おお 岩を洗いながら流れ下ってくる小滝の連なりが見えてきました。

↓奥には滝口から水を落としている箇所も。あそこが 「頼光対面の滝」かな?

思いのほかに高低差があり 奥の滝は 近づくと視界から消えそうになります。


改めて現れる滝。




↑落差は約10m。さほど大きい滝ではありませんが それでもここまで歩いてきて良かった と思える滝でした。
↓滝の右横の 岩が棚状になっているところにー

不思議な形の岩が置かれていました。

↓拡大すると 「...修一之滝不動明...?
」かな?文字が刻まれていました。(おお、お不動さんと思えば 岩の形も不動明王の火炎光背に見えてくる。)

近くに「クアの道」の「ポイント7」である事を示すプレートが立っていました。

http://www.kurortwalking.com/file/shizuoka/shizuoka02.pdf
(↑前の頁にも貼りましたが_「クアの道」のコースマップです。)
↓その横には 滝行をなさる方のための施設でしょう、扉が開かれたままの建屋がありました。


↑入口脇の板には「法華宗常唱院不動ノ滝信行道場」と書かれています。/ 「頼光対面の滝」という名を持つ 金太郎伝説を纏ったこの滝も 修行場としては「不動の滝」という事なんでしょうね?(ググってみると常唱院さんは 足柄駅から鮎沢川を西へ渡ってすぐ の所に建つお寺でした。)
引き返します。



↑地蔵堂川沿いの道に戻ってきました。(余談ながら道の向こうにチラと見えるボックスはハイカー用のトイレです。)
続いては「銚子ケ淵」を目指します。


<参考までに_>
安政5年(1858)に歌川芳艶によって描かれた「頼光 雲気を察して足柄山に公時を得る」
↑この絵では金太郎は元服後の名「公時(キントキ)」、更に幼名(異名?)の「怪童丸」という名で描かれています。
もういっちょ。同じ作者による「怪童丸元服之図」
↑碓井貞光が金太郎の手を取って 作法を教えています。
下中座の『怪童丸物語』では 碓井は金太郎の父の友人という設定で、足柄山で金太郎を見出すのも碓井~ になっていました。
都に上って頼光の「四天王」の一人にまでなった力持ちの少年は足柄の誇り。/ 足柄峠の神奈川県側_南足柄市にも金太郎の伝説が残っています。(生家跡 産湯に使った滝 遊んだ石~など^^)//ついでのオマケですが 南足柄市の道の駅の名称は『道の駅足柄・金太郎のふるさと』だったりします。