新年会の集合時間まで まだ少し時間があったので 天守台跡まで行ってみました。

↓尚蔵館の先の「大手 三の門跡」。

門の奥に「同心番所」。

↓脇にあった説明板の絵。江戸時代の「大手 三の門」は高麗門と櫓門を組み合わせた枡形だったんですね?(当たり前ですが) 又この絵からは三の門の前は壕で 橋が架かっていた事もわかります。

↓中の門から本丸へ向かいます。

↓中の門前に 百人番所。

↓説明板。

↓中の門の中へ。

↓又番所です。今度のは「大番所」。

↓説明板。

(↑写っているのは 番所ではなく手前にあった大手中の門の櫓門ですね? )
中の門を過ぎると 道は上り坂になっていました。

ほぼ「ヘアピンカーブ」。



↑かつてはここに中雀門(チュウジャクモン)という 本丸への最後の門があったそうなー。
坂を上り切ると 本丸、です。


↑右奥に見えるのが四代目の天守台。
(三度目の焼失以降再建されないままになっているんですねー?)


上がってみましょう。

(当然ですが スロープは後付け です^^;)




↓天守台の説明板。/ かつて江戸城には 五層の天守閣があったんですね?(一番規模が大きかった「寛永度天守(1638年/三代目)」で地上からの高さが約58mとか。) しかし 四代目の天守閣を建てるために 今に残る天守台が築かれるも 天守不要論がおこり、結局天守は建てられないまま幕末を迎えた~ のだそうです。

(↑左の絵は「江戸図屏風」の一部。虎の皮などの貢ぎ物を持った朝鮮通信使が 大手三の門に向かっているところ~ですって。)
天守台の上は ベンチが並ぶ 休憩所 のような所になっていました。

さして眺望が良い訳でもありません^^;)


(↑北に見えているのは「北桔橋門(キタハネバシモン)」)
かつて建っていたという 五層の天守閣の上からは どんな景色が見られたのだろう?
さて、そろそろ戻りましょう。


途中こんな説明板がありました。(上がる時は 気づかなかった・・・)


↑本丸御殿の見取り図です。/ おおまかに「大奥がこの辺~」みたいなことは知ってましたが そうか「松の廊下」の位置、など 詳しくわかっているのね?

勉強になりました。
<+>
本丸休憩所横に 天守の復元模型が置かれていました。


一番規模の大きい「寛永度天守」、ですって。

↑当然、ではありますが やはり 江戸城の天守閣 は 他の城より大きく建てられていたんですね?
<おまけ>
本丸の芝地の縁に植えられていた寒桜(カンザクラ)が ほつ ほつ と花をつけていました。


まだまだ寒いけれど 間違いなく春は近づいている~ と感じました^^)

(↑桜の名前を記したプレートが結ばれた幹。)
<それにしても>
これだけの規模と防衛力を持っていたお城が「無血開城」なった事、 改めて 凄い・・・