
滝は、お寺の脇にあった案内板には すぐそこ っぽく書かれていましたがー・・・

↓最初の分かれ道を「滝への道って これ?」と思うも・・・

違っていました。(この道は ぐるー っと回って又お寺に戻る道だったのです。)
とりあえず山を下り、
所々に立つ道しるべを頼りに歩く事にします。
んー ここの矢印の中には「霧降りの滝」への案内がないなあ。(!後から気づきましたが 矢印の奥の柱に「霧降りの滝」と書かれていました。われわれは下りなくてよい道を下りてしまっていた のです。/ が、これも後でわかるのですが お寺の脇を通って霧降の滝へ向かう道は この時「封鎖」されていました。 この日に限って言えば 我々はここを下るしかなかった、のです。)

携帯のマップで おおよその方向はわかるのですが 細い道は表示されないんですよねー。

↓あ、又道しるべがあった。けれど「矢印」には滝への道 はありません。

↑矢印に「やつるぎ神社 下吉沢」とあるので とりあえず神社まで行こうとこの道を進みましたが この先で又迷子に・・・。
_今ならわかる。この神社への矢印の向き間違ってますね^^; / 因みに私達がこの時向かおうとしていたのは上吉沢のやつるぎ神社なんだけどー (この時点では私達 八剣神社が二つもあるとは知らずに歩いておりました))) 上吉沢のやつるぎ神社への案内の「矢印」がここには無い・・・下吉沢のやつるぎ神社より 上吉沢のやつるぎ神社の方がこのポイントからはずっと近いにもかかわらずー。。。

↑で このポイントから矢印に従って北西へ進んだ先で又迷って 引き返したのでしたー・・・が、 実はそのまま行けば「霧降りの滝」へ行けたんです! 滝からの帰りにこの道を通りましたから_ / という訳で 是非ここに 滝への案内を置いて欲しいもの と思います。
- - - シーン抜け - - -
細い川がありました。この川に沿っていけば 滝の方へ行けるんじゃない?

(もう 滝でも 神社でも 何でもいい 地図上に載るポイントにたどり着きたいー。そんな気持ちになってきてました。)

分かれ道。迷わず 川 の方を選択。


↓後で地図を見たら「中吉沢宮下の道祖神」というスポット。(双体の道祖神ですね?)

イイカンジに進めている、と思ったのに 川と道が離れてしまった・・・。

↓この流れの川上に 池が そして滝があるのだろうけれど・・・ とりあえず 暫く水とはお別れ、です。

↓道しるべがあった。

↑左-吉沢(キサワ)の池、右-八剣神社。(引き返すと「妙覚寺」)
亭主が「先に神社へ行こう」と言うので 右の道を行きます。


↓お稲荷さんがあった。


沢山の狐さん達が 仲良くおいで になりました。

その先の~

あのコンモリしたところが神社かな?

道なりに行くと すっくり 大山が見え始めました。



さてでは 伺ってみましょう。「(上吉沢の)八剱神社」。

おお、「吉沢八景(キサワハッケイ)」だそうですよ?


近くに説明板がありました。

↑「八剱神社
鎮座地 平塚市上吉沢七五八
祭神 日本武命、須佐之男命、大日霊貴命(オオヒルメムチノミコト=天照大神)
由緒 境内地三六二坪に 日本武命が東夷討征のとき御休息せられ、土民が歓待し、命が大に感激され後に社が建てられた由.
天正十九年(1591)十一月徳川家康公より社領高一石五斗を寄付され、明治三年上地 明治六年村社に列せられる。同■ 台の 八坂神社 日の宮神社、山入の八坂神社、神戸の八坂神社 合祀する。
(後略)」
(不動像についての説明はありません_
実は 松岩寺から不動像を預かったのはこちら、ではなく 下吉沢の八劔神社の方だったのです・・・。)))
お社へ。


↓狛犬達。


虹梁の上の彫り物を拝見。



↑剱を振るって龍から姫を守る武人、のようです。(祭神のうち ヤマトタケルノミコト か スサノオノミコト の武勇伝? んー こんなお話あったっけ?)
↓木の鼻は鬣をなびかせる獅子。

↓鈴の奥の扉に 穴 があいており、お賽銭はここから中へ入れるようになっていました。

中には 三つ巴の幕が見えました。 きっとこれが「神紋」なのでしょう。
南側から見た社。

(↑右が拝殿、左が神殿、です。)
↓瓦に三つ巴が見えます。


↑破風部分の彫刻は 菊でしょうか?
↓隅鬼には「水」の崩し字。火伏の意味がある のかな?

神社の周りには 欅の大木が 二本ありました。



↑「平塚氏保全樹林・けやき・指定第六十八、六十九号」だそうです。
さて 続いては滝を見に行きましょう。
来た道を引き返し、さっきの別れ道を左 へ進んでみる事にします_。

つづく