ウォーキングイベントに(部分的に?)参加中~のnumabe達。
貰ったルートMAPによると、天神様の次の「立ち寄りポイント」は宝金剛寺ですって。 ルート通りに歩いて行きましょう。

しかし、その途中にも「見所」がありました。
↓道脇に石のレリーフがあったのです。/南に据えられた石には「蓮台寺 華匠苑」と彫られています。

踊念仏のよう~ と思ったら_


↑本当に踊念仏でした。(石碑の文字を写します。「踊り念仏レリーフ/ 平成二十一年六月七日の 平成の二祖像開眼式で 檀徒有志が奉納した踊り念仏行列を刻しました」 / へー)
↓「地蔵祭」と刻まれた石に乗る 三体のお地蔵さん達もいた。(左から 笛 太鼓 鐘 を持っておられます。)

↓その先にもう一つ_、 浄土の蓮の上で祈るお地蔵様達のレリーフがありました。

(↑「衆生済度の大願成就せ__ ふたりの地蔵が現れ__ ナムアミダブツ ナムアミダブツ われらを浄土に導き___」)
↓山側へ少しあがったところに建つお寺が「蓮台寺」ですね?

時宗のお寺だそうです。⇒HP
少し行くと_

「サウナと水風呂」という看板を掲げる施設がありました。

(古民家のリノベっぽいですね?)

(↑屋根には「沢瀉紋」。)

↑「ODAWARA PRIVATE SAUNA」ですって。⇒HP(へー 貸し切りのサウナなんだー)
その先の分かれ道を 右へとります。

初めて通る道です。

程なく目指していたお寺に着きました。

国府津山 宝金剛寺。宗旨は東寺真言宗だそうです。⇒HP
参道の先に門が見えます。

↓説明板。(手前の「国府津建武(ケンム)古碑」は、梵字で阿弥陀三尊が刻まれた板碑(イタビ)との事。ちょっと遠いので今回は訪ねていません。)


↑「宝金剛寺
当寺は国府津山医王院宝金剛寺と号し、平安時代の初期、天長六年(829)弘法大師十大弟子の一人、 杲隣(ゴウリン)大徳によって開創された。久安元年(1145)僧一海(イッカイ)が中興、近年まで近郷三十一ヶ寺の本山であった。古くは地青寺(ジショウジ)と称したが弘治二年(1556)に後奈良天皇の勅によって今の寺号に改めた古刹である。
宗派は東寺真言宗。
この地方屈指の大寺院であったので、当寺には数多くの文化財が保存されている。
本尊地蔵菩薩立像(木造・神奈川県指定重要文化財)は、藤原時代初期の造像で、俗に〝帯解(オビトケ)地蔵”と呼ばれ安産祈願の振興をいまに集めている。寺伝によると、治承二年(1178)小松内大臣重盛公が安徳天皇の御安産を祈願して寺領を寄進したという。
寺宝の大日如来坐像(銅像・国指定重要文化財、不動明王および両同時立像(神奈川県指定重要文化財)は、ともに鎌倉時代の優れた尊像である。
また室町時代には後北条氏の祈願所としても篤い信仰と保護を受けたこともあって、後北条氏関係の古文書等(小田原市指定重要文化財)も多数に所蔵。当寺裏山の元墓場には、中世板碑(イタビ)の代表例である「国府津建武古碑」(小田原市指定重要文化財)が建っている。」
(↑最後に載る「国府津建武古碑」は、以前はこのお寺の近くに建っていた、ようですね?)
長く趣ある参道を進みます。



↓屋根の瓦には「山」を象ったマークが見えました。/ 寺紋でしょうか?

↓掲げられた扁額には山号「国府津山」。

門の内には
秋の名残の黄葉が~。






鐘撞堂がありました。



その向こうに本堂。





↑鐘の向こうに「地蔵尊」の提灯。/ 先に読んだ説明板によると 本尊は神奈川県指定重要文化財の 木造・地蔵菩薩立像、だそうですね。/ お参りします。
山を背にして建つのは庫裏でしょうか。




↑おや お玄関脇の柱にブロンズのプレート。/この建屋は文化庁の「登録有形文化財」に指定されているんですね?⇒*
モダンな建物のように見えますが 建てられたのは寛政12年(1800)ですかー。(昭和33年に改修)

思いのほかに 見所一杯! 素敵なお寺でした。

(↓参道の一本北の梅林のソバの小径_)


_ありがとうございました。
この後_ルートMAPでは 曽我別所の丘の上の「見晴台」(←田島の更に先!)を目指すようになっていましたがー、

(↑左手前は「堅牢地神」碑。)

そんな山道を回っていては とても期限の14時までに(私達にとって主目的地であるところの)車両センターにたどり着く事は不可能。

↓しかも西の箱根の上に怪しい雲。一時間後には平地でも雨になるでしょう。(そして実際土砂降りになるのです_)

_という訳で 田島石橋の交差点付近で横道に反れ 直接車両センターに向かう事にしました。
すみません_