
お城の南の住宅街 (昔の武家屋敷)_西海子(サイカチ)に建つ「静山荘(セイザンソウ/ 旧・望月軍四郎(モチヅキグンシロウ)別荘)」を訪ねてみました。

(道幅の広いこの通りは 江戸時代には「さいかち馬場」と呼ばれていた、と言います。)

高い生垣 更にその内の木立に囲まれた静山荘は 外からは様子を伺う事ができません。
↓説明は配布資料と~

↓前回見学したおりの記事に「丸投げ」させてもらう事にしてー今回は「絵」の貼り足し 程度に。(写真はサイズを「大きく」しておりますので 以前のものよりは細部がよく写っているはずです^^;)))


(↑説明板)
では 敷地内へ。


門の先の左右に 石の羊が居ました。

(↑右の羊、↓左の羊)


そういえば曽我の大雄山荘の玄関前にも一対の石の羊が置かれていました。あと 白金台の松岡美術館入口前にもいたなー。/ガイドさんによると この像の詳細は不明 との事でしたが、 大陸から伝わったもの のよう。(中国や朝鮮半島では墳墓の入口や参道に石人 石羊が置かれてきたのだとか。早稲田大学構内にも朝鮮半島で購入された一対の石羊があるそうです。)
その先の石灯籠。

竹垣と潜り戸。


門に掲げられた板。

(読めません^^;)
西に庭。

今は ふっかふかの厚い柴に覆われていますが 元々は美しい苔の庭だったと言います。

↓母屋。元は上府中村(現・千代あたり)にあった農家を 昭和14年に望月さんが購入し「曳家(ヒキヤ)」してここに移した~そう。


↓大棟の真ん中に九曜(クヨウ)の紋。

九曜の紋は望月家の紋なので、移築後に望月さんが付けたのでは、との事。(+ 望月さんは昭和2年に「九曜社」という株式会社を設立しています。九曜 に対する思い入れは強くていらっしゃったかも?)
座敷を覗かせてもらいます。




↑欅の縁側 ↓釘隠しは鳥(千鳥でしょうか?)

↓美しい欄間。



↓西の縁側から~。

↓一段高くなった書院造りの間を_

書院窓から拝見。


↑床が板張りになっています。能をなさるご当主がいらした代にこの様になさった~ らしい。
母屋前の石灯籠。ちょっと珍しかった。

↑五三の桐と ↓菊の紋が彫られているんです。どんな謂れが?

玄関へ回ります。





(↑一見何のヘンテツもない入口ですが、実は 正面の二枚の扉は右へスライドさせられる造り。)
戸口を入るとそこは土間。

↑石臼のリサイクル?な小テーブルの上には「小田原ゆかりの優れた建造物認定板」。
↓戦前の民芸ブームの影響でしょうか?
壁には農具がオブジェ的に~。

小壁に「霊(の異体字)松閣」と記された額、柱にはお寺の聯(レン/柱掛)のような板が掛けられていました。


↑額には 震澤(中国江蘇省の地名)王廷鼎と署名があるので大陸渡りかしら? (尚望月さんは「民間支那学研究者」という肩書をお持ちの上、慶応義塾大学に「支那研究」のための基金を寄付なさっています。きっと個人としても中国関連のコレクションをお持ちだった事でしょう。その一部が小田原にあっても不思議はありませんね?)
↓座敷側。


↓なめらかに面取りされた上がり框(カマチ)。


(↑下は靴箱になっているようですね?)
↓土間から見た座敷。

↓神棚。(軍四郎さんがお気に入りだった、という_)

↓北側の間。



いやいやー 本当に素晴らしいお宅です。

戻りましょう。

(↑玄関脇の井戸。)
(↓逆光で見る 潜り戸。)



いや~ ここが海辺の住宅街 西海子だなんてー、です。
<+>
ガイドさんから聞きいたところによると_ 武者小路実篤の『望月軍四郎』に 望月さんの別荘の事が書かれているといいます。静山荘の事でしょうか?/ 読んでみたい と思いましたが 小田原図書館ではこの本 なにゆえか「貸出禁止」です。 (「閲覧」はできる、のかな?)
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- 欄外のハミダシ備忘録(昔の”番地”に興味のある方はどうぞ) -
さて この場所(「静山荘」 現住所-小田原市南町3丁目1−20)についてはちょっと気になっている事が~・・・
ここが谷崎潤一郎と佐藤春夫の間で起こった「細君譲渡事件(別名 小田原事件)」の舞台となった建屋があった場所かどうか、です。
谷崎潤一郎は大正8年12月頃~10年9月頃の ほんの数年小田原に暮らしていますが その期間に「秋刀魚の歌」で有名な「細君譲渡事件(別名 小田原事件)」が起こっています。
↓「おだわら文学散歩マップ」を見るとー
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/global-image/units/66578/1-20110808161230.pdf
静山荘の位置が「谷崎潤一郎旧居跡」になっています。
又 十字町商店会が出した『十字町ヒストリア Vol.1 p.81』にも 谷崎潤一郎旧居跡は「望月玉三邸・今の静山荘」と載っています。
が、静山荘の門脇で資料を渡してくれたスタッフさんに尋ねると 「えー?そうなんですか?」、近くにいたガイドさんも「それは 少し離れた所と聞きますよ_」。。。(???)
家に帰ってからググったところ、確かに 小田原に於ける谷崎邸は 「小田原文学館(旧-田中光顕別邸)の西隣~」、と紹介するサイトが複数ヒットしました。
どうやら谷崎の娘 鮎子の幼稚園への入学願に「十字町三丁目706番地」と書かれていたようで、この番地だと 「小田原文学館(旧-田中光顕別邸)の西隣~」になるんですね?
市や 十字町商店会の刊行物では「十字町三丁目708番地」(←現-静山荘)をとっている。(十字町商店会の『ヒストリア~』では「幼稚園の入学願は706」と補足的に載せながらも、その上で。)
が、では「三丁目708番地」と記載された資料もあるのかな? と思ったのですが(少なくともネットでは)ヒットしません。。。
これは・・・
数字の書き違い或いは読み違いで "記録" としては「706番地」が残っているけれど、 人の"記憶その他"から「708番地」を支持する人が多い~ という事かしら???
余所者なので本当の事はわからず とりあえず「今はここまで」_です^^;)))