平塚の村井弦斎公園(村井邸「対岳楼」跡) | おだわらぐらし

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村井弦斎が明治37年に平塚に建てた「対岳楼」跡、という「村井弦斎公園」へ行ってみました。(補足/ 弦斎さんは小田原に住み『食道楽』を執筆されてましたが明治35年の「小田原大海嘯(高潮)」で罹災され 平塚へ越されたそうです_)

(↑JR平塚駅南200m程の場所。/公園の前の通りは「弦斎通り」。)
↓今は 松林 のようになっており ここに広い畑をもつお屋敷があった事 想像するのは難しい状態です。


↓公園入口。

↓説明板。

↑「(前略)明治37年(1904)、弦斎はここ旧平塚町東浜岳(ヒガシハマタケ)(現在の平塚市八重咲・松風町)に一万六千余坪(≒52893㎡ ←平米に換算してもどれ位の広さかわからない^^;)の屋敷を構えて住み、多嘉子夫人との間に三男三女が生まれました。/邸内には菜園、果樹園、畜・鶏舎が作られ、一流の調理人と珍しい食材による豪華な料理が供せられるなど、碑文に刻まれた世界を実践して、食文化の向上と大衆化に寄与しました。/膨大な著作を残し昭和二年(1927)七月、六十四歳でこの地に没しました。
 平成十三年三月 平塚市」

↑右の写真では「作家然」とした風貌に写る弦斎さんですが、左の家族写真では 奥さんと沢山の子供達と一緒に笑う 庶民的で子煩悩なお父さん の顔です。/ 右端の袴の女の子が長女の米子(ヨネコ)さんのようですね?

公園敷地内には_

どこにも 村井邸の様子を偲ぶ物はありませんでしたがー


↑敷地の西奥あたりに一基、小ぶりな石碑がありました。
↓う・うーん ちょっと 読みにくいー。

↑「今や我家の食道楽趣味は漸く田園・・・」/ しかし帰ってネットで調べたらすぐわかりました。
「今や我家の食道楽趣味は漸く田園趣味に進み行きぬ 出ては栗果の露滴らんとするを摘み 入っては珍膳を具へて富岳の暗嵐に對す 悠々たる清興 人生の幸福此の中にあり
         於平塚對岳楼 弦斎」
↓石の裏面。
「平塚市長 戸川貞雄
昭和■四年 弦斎・・・十三
回忌にあたり平塚市の・・・」
_誰か読んで下さーい^^;)

↓文学碑前から南の通りを見やったところ_

この辺りに こんな⇒
家や畑があったなんて・・・。

さて(駐車場に)戻ります。


公園の前の通り_。

↑↓通り名を記した石柱。

↓マンホールの蓋は 北をさし示していました。(下、の字の両側は 七夕の星でしょうね?)

↓これは海と七夕まつりをアピールする バージョン。

(↑どちらの蓋にも「松風町」と町名が入っていますね。/小田原には町名入りの物って無いので 珍しく思いました。)


この後は 弦斎カレーパンを買いに高久製パンの工場へ行ってみました。/つづく