弘前城 北 の「石場家住宅」 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

旅行三日目の朝 の弘前は時折雨のパラつく「生憎」のお天気でしたがー

(↑宿から駅前のバス乗り場を見下ろしたところ_)

元気出して参りましょう。

↑この日は 路線バスで(←なぜなら「100円バス」運行時刻前、だったので)まず お城の北の門_「亀の甲(カメノコ)門前」まで行きました。


(↑バスを下りたところ_)

亀の甲門の方へ向かいます。

亀の子橋を渡りましょう。

橋からの眺め。

(↑東 ↓西)

↓改めて_ 門。




↑亀の甲門。(数頁前の項にも打ちましたが)築城時にはこちらが「大手門」でした。
↓説明板。

↑「現在は搦手門(カラメテモン/裏門)ですが、築城当初、大手(正面)の門として建設された城門です。現存する他の四棟の城門に比べて、規模が大きく、かつ、銃眼がないなどの特徴を持っています。大光寺城(現・平川市)の城門を移築したという伝承を持ちますが、転用材が多いことなどからも、中世伊勢の系譜を持つことが想定される城門です。」

門を入ると すぐお花見広場。


桜は満開なのに 雨って 残念すぎますねー。

引き返してもう一度亀の甲橋を渡り、お城の北の壕沿いに建つ 「石場家住宅」を見学します。

(↓亀甲橋のすぐ前、の商家です。)




(↑通りに面してのお店の幅が広すぎて 入口見落としちゃった...。)

今は地酒などを扱う「酒屋さん」をなさってる石場家ですが_



奥さんによると「その時代時代で商売を変えてきたんですよ」「肥料を扱ってた時代もあります。」との事。

(↑「みづほ化成肥料/大日本人造肥料株式会社特約/石場商店」と書かれたプレート。)


暖簾の先は 広い土間 で 井戸までありました。(井戸は昭和40年頃まで使われていたそうですが、一般公開を期に 安全を考慮して埋めた、そうです。)

↑土間の西側は台所_
↓奥には蔵の入口。

↑藁の雪靴や籠が展示されていました。/昔はこうした商品も扱っていたそうです。

↓東側は住まい になっていました。


↑半纏に「石場精米所」の染め抜き。精米所だった時代もあるんですね? (かつては多くの雇人がいた、との事。)

↓店に近い側は畳敷きの座敷。

(↑囲炉裏の向こうに熊の毛皮。奥さんが「あれは大きいからこの辺の熊じゃありません、北海道から持って来たんでないかしら」とおっしゃってました。 / 「敷物は家長さんの席、とかですか?」と伺ったら「いいえ あれはノミとりに使ったと聞きましたよ。 あの上に座ると 体のノミが下(毛皮)に下りる~んですって。」 へええ。

柱の木はヒバ(←縦に強い針葉樹)、横の梁はカツラ(←軽い広葉樹)との事でした。


板敷の間は 居間兼食堂で 食事はここでしたそうです。



見応えがありました。

ありがとうございました。

続いては 武家屋敷を見学しました。