弘前の禅林街「黒門/長勝寺構(チョウショウジガマエ)」を歩く | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

弘前城の裏鬼門(南西)には曹洞宗 三十三の寺が集まる「禅林街」があります。

風情あるその通りを歩いてみました。

城側から向かうと 右手に赤門が現れます。

↑ここから北にのびる「耕春院構(コウシュンインガマエ)/別名-下寺通り」に 三十三ヶ寺の内十二ヶ寺が並んでいます。(耕春院を
中心とする寺院群だそうです。)
↓門の東には子育て地蔵の小堂、

↓門西には「山門禁葷酒」と刻まれた石柱が立っていました。


西へ向かうと 黒門がありました。

ここから先が「長勝寺構(チョウコウジガマエ)/別名-上寺通り」。長勝寺を中心とする寺院群で構成されているそうです。

↓説明板。

「 黒門
 黒門は外枡形、土居、壕跡及び曹洞宗寺院群とともに史跡弘前城後長勝寺構を構成する重要な遺構の一つであり長勝寺三門杉並木等とあいまって西森禅林街の歴史的好環境をつくりだしている、
 現位置における記録上の所見は貞享(ジョウキョウ)四年(1687)作成「長勝寺耕春院惣構」の図に見られ、それは長勝寺境内入口を示す総門(表門)としての機能を有していたものである。
 なおこの門が城郭建築にみられる高麗門形式となっているのは長勝寺一帯が弘前城の出城として性格付けられていたことによるものであろう。本城(現在の弘前公園)にない高麗門形式が出城としての長勝寺構に現存することは誠に興味深いことであるが建造当初からの形式によったかどうかは定かでない。」 
もういっちょ。

「 長勝寺構
慶長十六年 西暦1611年 弘前城を造営した津軽信牧(ノブヒラ)公がここに禅院三十三ヶ寺を集め 宗教 思想文化の上に大きな役目をして今日に至った 昭和二十七年 弘前城址と共に特別史跡地に指定された」
ふーむ。

門脇には「不許葷酒入山門」と記した石。

門を潜ります。

振り返ったところ_。


その先に 赤い「栄螺堂(サザエドウ)/俗称-六角堂」が。

中にはやっぱり螺旋階段があるのかな?歩かせてもらえるのかな? と期待しましたが_


残念、扉は閉じられていました。
↓説明板。


↑「栄螺堂(俗称:六角堂)由緒
この御堂は栄螺堂と云われ天保十年(西記1839)時の豪商東長町中田嘉兵衛翁が年年歳歳の海難で死亡した者及び天明天保の大飢饉で数万の餓死死亡者の無縁の諸霊冥助のため発願して建立された御堂で八角の稜形であるが内部は栄螺形の廻り階段になって全国でも稀な建築様式で観音菩薩他諸佛体を安置して信仰の対象として有縁無縁の諸霊冥福を祈り永く後代の人々の為に遺し伝える所以であります。
 蘭庭院」
へー。

その先の道脇には_

杉並木についての説明板がありました。

↑「保存樹林
西茂森長勝寺構 (塔頭)スギ並木
 史跡指定地にある、歴史と宗教的雰囲気を醸しだすみどりとして極めて貴重で、後世に伝えて行かなければならない貴重な文化財の一部である。」
_なるほど。

道の奥に 立派な三門が見えてきました。



道の両脇にも華やかな、あるいは味わい深い塔頭が並んでいたのですがー





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時間がなかったのでひたすら奥へ歩きました。。。



ここが長勝寺。(↓MAP / 右が北)

中門(←総門とするガイドブックもありますが お寺の公式HPに「中門」と載るので それにならいます) を潜ると、そびえるような三門が目の前に。(1629年建立)


では 長勝寺さん、伺って参りましょう。/ つづく