善知鳥(ウトウ)神社(奥州街道終点?) | (又)おだわらぐらし はじめました

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(つづき)

善知鳥山(ウトウザン)一念寺から 150m程東(2ブロック先)にある善知鳥神社を訪ねました。

こちらで「うとう+やすかた」について改めて学んで参りましょう。 / 前の頁にも打ちましたが 善知鳥(ウトウ)は鳥の名でもあり青森の古名でもあります又人名としても登場します。又安方(ヤスカタ)は善知鳥の幼鳥の鳴き声でもあり 現在のこちらの住所(青森県青森市安方2丁目~)でもあります。 


(↑「善知鳥神社
青森湊が開港以前の青森は「善知鳥村(ウトウムラ)と称して、安潟(ヤスカタ)のほとりに漁家が点在する一漁村であった。寛永時代に開かれた湊に寄せる漁船の目印が青々と茂る小高い森だったことから「青森」という名がついたという言い伝えがある。
善知鳥神社の創建については坂上田村麿にゆかりがあるとも、都から移り住んだ烏頭中納言安方(ウトウチュウナゴンヤスカタ)が宗像宮を祀ったともいわれるが、青森湊の開港後に再建されたようだ。
平安時代から現代にいたるまで多くの文化人・著名人が善知鳥神社について触れ、神社の由来、善知鳥という鳥、善知鳥にまつわる伝記、伝承について残している。
明治期、青森町の鎮守が毘沙門堂(香取神社)から善知鳥神社へ移された。神輿(シンヨ)渡御も善知鳥神社が行うことになり、青森町の祭礼の中心となった。」

↓「坂上田村麿伝説」の個所を写します。(ねぶたのタイトルは「田村麿 大獄丸を討つ」。)

「伝説によると、坂上田村麿は、山に隠れて犯行する蝦夷に対し、山からおびきだすために、灯火や笛・太鼓を用いて、おもしろおかしくはしゃぎ回り、蝦夷が物珍しさで、山片でてきたところを、一網打尽に生け捕ったという。そしてこのことがねぶたの起こりの一説ともなっている。
また、とらえられた蝦夷は、釈放されると再び反抗するものが多く、その対策として武力だけでなく、神社やお堂を建てて信仰による蝦夷の強化を図ったという。
このとき建てられた神社やお堂は380余りと言われており、善知鳥神社と坂上田村麿のゆかりについてもそのときにかかわりがあるといわれている。」

東から参道に入ります。



(↑え?ここに?な場所にトラックが停まっていましたが これからここでお祓いを受ける車、でしたー)

社号が掲げられた鳥居。


(白い狩衣をお召しの神職さんが祓串を持って橋を渡って来られました_)

(↑お祓いが始まります_
 ↓鳥居の南には授与所。)


手を清めましょう。


拝殿へ。


↑幕に染め抜かれた向かい合う鳥形の紋は善知鳥紋。(鳥の「ウトウ」がデザインされています)


お賽銭箱、及び戸口の紋は何でしょう?(パっと見 一念寺と同じ月影杏葉のようでいて違いますねー。これは杏葉牡丹(ギョウヨウボタン)? 調べたら昔ここを治め善知鳥神社を庇護していた南部氏の紋が葉陰杏葉牡丹でしたー。又更に、ついで ここを領した津軽氏も替え紋としてこの紋を使ったそうです。   上には菊。んーこれはどういう縁で用いられているのでしょう?)

「允恭天皇(仁徳天皇の第四皇子)の時代に善知鳥中納言安方という方が 外ヶ浜の干潟に宗像三女神を祀ったのが始め~」という神社。
ご挨拶いたしましょう。


境内を回ります。


↓参道北側に「謡曲善知鳥之旧跡」と記された柱。その欲のレリーフは 善知鳥 かな?

↓碑について。


池の際に「龍神宮」。

(安永六年(1777)漁業守護・繁栄の為に建立された社だそう)

その右に 「猿田彦大神」「月夜見命/猿田彦命」と神名が刻まれた石。

(↑右の白い祠には どんな神様が祀られていたのでしょうか)

稲荷神社。


社殿の南にはー

善知鳥の紋の入った幕の下がった・・・倉?

「龍神之水」というスポット。




龍の口から吐き出される水はせせらぎとなり 池(「うとう沼」)に注いでいました。

ここが (先に見た「謡曲善知鳥之旧跡」にあった_) 謡曲『善知鳥』の「外の浜(外ヶ浜)」、 かつての「安方(安潟)」の名残 という事なのかしら?


池の中の小島に 祠がありますね。

横に立つ札によると1614年に建てられた「弁財天宮」だそうです。

↓わー 大きい亀!

↑いや 石の亀か^^;)
↓あれも石? いや本物か。


池を西から見たところ。


小島の向こうに見えるのは さっき回った龍神宮ですね?


グーグルMAPで見てみましょう。

↑今は 街中の神社~ のように感じられる善知鳥神社ですが_
↓少しひいて見ると今も海っぺたに建つ事がわかります。もしかすると昔は潟の際、だったかもしれませんね?

・・・地図を見て気づいたのですけれどー

↑一の鳥居の手前 道路脇に「奥州街道終点記念の碑」なるものが立っていたんですね? いやー ちゃんと見ればよかったー。
↓という訳でストリートビューで ぱちり。

奥州街道の終点が 青森宿_善知鳥神社前 って 凄いなー。/ (私達的に)宇都宮までしか歩いていない奥州街道ですが いきなり終点を そうとも知らず訪ねていたとは。 / (もっとも青森宿を奥州街道の終点とする文献もある一方、蝦夷へ渡る三厩(ミンマヤ)宿を奥州街道終点と載せる文献もあるそうで ルートも含め 色々曖昧な部分もある、ようですが・・・)


知れば知るほど、な 善知鳥神社。
青森観光には外せない場所ですねー。



この後は「ねぶたの家 ワ・ラッセ」へ行ってみました。 / つづく