一念寺(浄土宗 善知鳥山-安方院) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

駅前のお寿司屋さんでお昼を(たらふく)食べた後は~
一念寺」というお寺へ行ってみました。

(↓偶然前を通ったお店・・・)

(↑ 「元祖味噌あおもり カレー牛乳らぁめん / 味の札幌 浅利_...」  どこからツッコンでいいか)
(↓「一八寿し」 有名店だそう。)




一八寿しの先に 目指すお寺が見えてきました。

(道を渡って~)


↑門脇に「浄土宗 善知鳥山(ウトウザン) 安方院(読み方わからず。ゆかりある貴人の名 現在の地名 又善知鳥の幼鳥の鳴き声としては「ヤスタカ」ですが お寺ですら音読みかもー?) 一念寺」と彫られた寺号標。 

門を潜り 境内へ。



(↑門を守る小さな仁王さん達)

(↑左に見える貞昌寺というお寺は 弘前の浄土宗のお寺、のようです。寺号の下は住職さんのお名前かと思われますが・・・ すみません読めません。善導かなー?)

正面に阿弥陀様。

上品上生印を結んでおられます。

その後ろに縁起の良い波千鳥が描かれた提灯。

虹梁に龍、その上 唐破風下に鶴。

あら?鳥衾の下に葵の紋?


私全然知らなかったのですが 松平家から存牛上人というお坊様が出て知恩院の住職になった時 知恩院の寺紋を「三つ葉葵」と定められ、以来 他の浄土宗のお寺でもしばしば宗紋「月影杏葉」とともに「三つ葉葵」が使われるようになった~ のだそうです。(へー)

さて、折角ですので阿弥陀様にご挨拶を、と思ったのですがー
お賽銭箱がありません。堂内にあるのかな?と思ったのですが お堂の戸も開きません。。。
寺務所にもお人はおいででなく_

(↑窓に見えるのが 宗紋「月影杏葉」)
手前の地蔵堂にを覗いたらー



お地蔵様の前に小さなお像が。(花まつりの設え ですね? ただ・・・ポーズが「天上天下」ではありませんし 頭に螺髪もない。お釈迦様ではなくお地蔵様かも?)


_と とりあえず_ 甘茶をかけて お賽銭を上げさせて頂き、「よしなに」とお願いいたしました。

ありがとうございました。

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門を出たところに_

↑↓「安方の一念寺ものたがり」

(↑むかし青森を善知鳥村(ウトウムラ)と言った そのころ このあたり一帯は芦茅(カヤ)が生え茂り漁家数軒の小さな漁村であった
そばの善知鳥沼(ウトウヌマ)は大きい潟で激しい時化(シケ)でも船が絶対安全で■ったので 安潟(ヤスカタ)と言った
 善知鳥村のずっとむかしの延喜の御世(西暦900年頃)には この安潟一帯に「うとう」鳥が数万羽住みつき村人に怨みなし 餌をあさり 稲をはじめ他の作物も実らず大変くるしかったので 村人達は災除けのために地蔵堂を建て この鳥の一念を和らげてやった その後は鳥の姿もなくなり 作物も実のり 豊作がつづいた
 村人達は 地蔵尊のご加護によるものと感謝し 安潟の一念坊さんと崇敬し愛した」
(↑人名とは別の「うとう」「やすかた」の由来、面白い。)

向いにお寺の掲示板。

「今月のことば
花まつり
 母の背ぬくし
  風甘し
   合掌」
その隣に「一念寺伝記」、

(↑「うとう」「やすかた」の由来についての伝承あれこれ。又 一念寺の前身「一念坊」が 善知鳥神社の別当寺 真言宗-善知鳥山養泉寺の脇寺であった話、 江戸時代に浄土宗-常光念佛一念庵に、 昭和十九年に 善知鳥山一念寺となった話~ などなど。)

この二つのパネルの上に 鐘。

その先には六地蔵さんと~


↑羅漢さんでしょうかね?(どこかインドっぽいからー)


では、次の目的地 善知鳥(ウトウ)神社へ向かいましょう。/ つづく