随分間が開いてしまいましたが、
思い出しながら この春 日光道中で味わったあれこれを綴っていこうと思います。
4月8日の朝_
つばさに乗って、
(↑東京駅です)
宇都宮へ行きました。
宇都宮駅って何度も来てるけど コンコースにこんなライオンの像があったって これまで気づかなかった・・・。/ 時に宇都宮になぜライオン像?// 台には「愛称レオ/宇都宮ライオンズクラブ二十周年記念」とありました。(ライオンズクラブが寄贈するなら ライオン以外はありませんね・・・^^;)
_って いかんいかん こんなペースで始めてちゃ。/ 今回は「日光街道を歩く会 最終回//二泊三日で宇都宮から日光を目指す」なんです。
(一日目「宇都宮から石那田一里塚跡まで歩く」/ バスで宇都宮へ戻り 宇都宮で一泊、
二日目「宇都宮から石那田一里塚跡までバスを利用。その続きを今市まで歩く」/今市で一泊、
三日目「今市から日光まで歩く」/解散。// の予定)
↓裁判所前で メンバーと集合写真。
「今回もよろしくお願いします。」
旧街道を進みます。
(↑やっぱり 大谷石を使った塀や蔵が多いわねー などと言いながら歩いております。)
複雑で渡りにくかった「松原3丁目交差点」。
(↓横断歩道がついてない箇所があるのです。)
(車いすやベビーカーの人にはちょっと厳しいかもー? 引き返して 対岸に渡ってから 改めてこの交差点の横断歩道のある場所を渡る、しかありません・・・)
って 交差点の話はどうでもいいですね。ちょっと横道にそれますが リーダーの持つガイドブックに このエリアの「見所」と載る「宝の木」を見に行きましょう。
↑この「栃木医療センター(旧-国立栃木病院)」敷地内にあるらしい。
↓あの枝垂れ桜かしら?
ところが_行ってみると...
宝の木は意外にも_
「猿の手柏(児の手柏)/コノテカシワ」という木でした・・・。
↑この木は元々はこの地区の「古墳のような大塚」にあったコノテカシワですが なぜだか「当時の住民」から 宝の木 と呼ばれており、明治に入って集落の名がこの木からとられて「宝木村」と呼ばれるように~ そして宝木に「宇都宮第十四師団司令部」が設置された際 司令部の庭木としてこの木が「寄贈移植され現在にいたる。」のですって・・・。(へー)
ともかくそういう訳で・・・
私達は 現「栃木医療センター」が 宇都宮第十四師団司令部 があった場所に建っている、と知ったのでしたー。
(↓しかし ごめん 宝の木、こっちかと思ったわー・・・)
国道沿いを少し行くと 大きな桜の木の下に 赤い屋根のお堂~ が現れました。
風もないのに はらはらと雪のように花びらをこぼす桜・・・。
あら、お堂の前に花が飾られています。
↑あ 浅い桶の中に右手を上げた小さなお像。「そうだ 今日は花まつりだ!」「お参りしていこう」
~という訳で お賽銭を上げて 甘茶をお像にかけていたら・・・
隣の建屋(上戸祭公民館)にいらした町内会の方が 「よくお参り下さいました」と なんとペットボトル入りのお茶を下さいましたー。(お茶は この後行う花まつりのイベントの配り物との事で 時間外に「通りかかっただけ」の私達が頂くのは申し訳なかったのですが、 折角なので頂戴いたしました。/改めて御礼を申します。)
(↑因みに、 このお堂自体は「薬師堂」との事でした。)
「宮環(ミヤカン)上戸祭町(カミトマツリチョウ)」の交差点の交差点まで来ました。
どっさりの桜、素敵ー。
でも 大きくなり過ぎた木、には ちょっと困る面 もあるみたい・・・。
↑ピンクの紐を巻かれた老木_。
↓倒木の危険がある為 伐採予定 との事。
↑健気にも 結構花をつけているのだけれど・・・。
一里塚がありました。
あああ、説明板の字が消えかかっているー・・・。
↑ともあれここが江戸から28里目、の「上戸祭(カミトマツリ)の一里塚」です。
↓対の塚も 道の向かいに残っていました。
少し行くと「ムーミンの家?」のような 煉瓦造りの円筒形のお家が現れました。
隣接する温室施設の一部かしら? / わからず終い。
並木道は 桜からヒバになったり・・・
又桜になったり、
ヒバになったり・・・。
お昼になりました。
「うなぎ とんかつ お食事処 とり茂」ってお店に入ります。
丁度込み合う時間帯・・・。/しばらく待ちます。
(中では小上がりとテーブルに分かれて着席)
メニュー。
皆とんかつにするみたい。「とんかつだな」「とんかつ」という声を聞くうち 私の気分もとんかつになって参りました。
という訳で (ほぼ)みんなでとんかつ、 頂きます!
↑わーっ 予想を上回るボリューム!だが完食!!
「御馳走様でした」。
さ、日光街道、引き続き歩いて参ります。