平将門(マサカド)を祀る築土(ツクド)神社と世継(ヨツギ)稲荷 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

九段坂の一本北の中坂を「kudan house」の方へ上がっていたら 左(南)に築土(ツクド)神社 という神社が現れました。



↑赤い鳥居の上に ビルが のしかかるように建っています。 
↓鳥居の奥に社殿が見えました。

(地代が上がって 参道部分を遊ばせておくのがもったいなくなったのかなあ?)

「kudan house」 の見学時間(予約)まで まだ時間があったので お参りしていく事に。

(↑鳥居の扁額。)
(↓鳥居脇の駒犬達。)


↓ビルの下を潜り抜けるとー


古風な_でも新し目、な「妻入り」の社殿が見えてきました。

↓あれ?千木が「女千木(メチギ/水平にカットされた千木)」です。/ 出雲だと女千木は女神の社に用いられるのですが・・・ここには どんな神様が祀られているのだろう?

↓神紋は三つ巴... 三柱の神? 八幡様?


ビルの下の参道 を抜けたところに 又一対、狛犬がいました。



↑お、いい顔をしてますよ?造りもとてもイイ!
↓「千代田区の文化財」に指定されているそうな。

(↑1780年(安永9年)元飯田町の人たちによって奉納された狛犬で、年代が明らかなものとしては千代田区内で最古となります。元飯田町とは1697年(元禄10年)の火災後の町地整備ののちにできた町名で、現在の富士見一丁目及び九段北一丁目付近にあたります。
 社伝によれば築土(ツクド)神社は、940年(天慶3年)に武蔵国豊島郡上平川に祀られたのち、田安、牛込門内、牛込門外の筑土山と所在地を変えて、1954年(昭和29年)に現在の場所へ戻ってきました。狛犬が奉納された1780年(安永9年)当時は、牛込門外の筑土山(現在の新宿区筑土八幡町2番地)に神社が所在していた時期ですが、離れた場所にあってもなお、旧所在地の元飯田町の人々が篤く信仰していた様子がうかがえます。) ← へ~。

しかし、狛犬や社地の変遷についてはわかりましたが 肝心の「祭神」がわかりません。 
由緒書はどこにー?

と とりあえず ご挨拶しましょうか。(ここまで来て引き返すのも失礼_)

↑手を清め、↓神前へ。




結局 神名も 幾柱祀られているのか も わからないまま・・・ ぺこ ぺこ ぱち ぱち ペこ。

社殿そばに 境内の縁にそって建てられた赤い鳥居_ 旗に「世継稲荷」の文字。

鳥居の先に狐達に護られた社。


折角ですので(?) こちらへも ご挨拶。

ビルの谷間のような場所の 不思議なお参り処_。(見上げると 橙(ダイダイ)の木が祠の上に枝を差し掛けていました。オレンジ色の実がなんだか星のように見えましたよ。)

↑後で 公式HPの「世継稲荷」の項を読んで知りましたが、この橙の読み「だいだい」が「代々」に繋がり~ 世継という社名の由来になったそうです。/ へぇ~。

お稲荷さんと本殿の間に 注連縄を巻かれた石が二つ_。
何かしらと近寄ったら~

何と、「力石」でした^^)


↑田舎の神社の境内の隅にあるのは時々目にしますが、こんな都会のド真ん中で力石が保存されている、って 面白い!

で この日は このまま退出して 「kudan house」へ向かった~ のですが・・・




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帰ってからネットで神社の由緒を調べたら_
Wiki「築土神社」
築土神社 公式HP

主祭神-天津彦火邇々杵尊
    平将門菅原道真を配祀。

~との事。ですが 公式HPでは サイトトップに
平将門を祀る江戸の古社」と ”平将門”が強調されています。これは 主祭神が邇々杵尊という天孫(天皇家のご先祖様)になったのは明治以降の事で 元々は 「将門信仰の象徴的神社」 であったためのよう。(Wikiによると 「明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ~」「天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神と~」だそう。 当時の政府の「天皇家を頂点とする国家を構築するのだ」という強い意志のため 伝統が曲げられた事例の~ これも「一つ」のようですね。(逆にいうと それまで朝廷に弓引いた将門を堂々と祀る事ができていたのは 武力で世を統べる征夷大将軍が東にいた時代だったから?))
公式HP http://www.tsukudo.jp/densetu-gyaku.html には「築土神社が将門を祀る神社であることを再び公言するのは、鎮座1050年を記念し御由緒を発行した平成2年(1990)のこと~」とありました。 そうだったんですね_。(でも境内の目立つ所には まだそれを記す由緒書の類がない?)

Wikiには又 「300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。」とあります。 世継稲荷は 今は築土神社の末社となっているようですが 元々ここにあったのはお稲荷さんの方、なんですね? 
えーと もしかして今の神紋が三つ巴なのも 「300年以上の間」「並んで鎮座していた」という八幡様由来だったり? (+/ 築土神社にはもう一つ「繋ぎ馬」という紋もある、という事ですが)

更に 知りませんでしたが築土神社は「江戸三社」の一つに数えられることもあった(←過去形なのがちょっと気になりますネ)、 んですか? (Wikiには補足的に 「(江戸三社のうち、日枝神社、神田明神以外は固定していない)」と書かれていますが...)

「知らない事が一杯」 で、頭がグルグルしましたが_
ともかく 今回(ほぼ たまたま、ですが)伺えてよかった、です。(大人度が「1」上がった気がいたします。)